銀座ライオンビル

掲載日:2023年7月20日

ページID:8208

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銀座ライオンビル外観

種別

国登録有形文化財 建造物

所在地

銀座七丁目9番20号

広報紙コラム「区内の文化財」より(令和4年10月21日号)

「銀座通り」とも称されてきた銀座一丁目から同八丁目を縦に貫く一般国道15号(「中央通り」〈東京都の通称道路名〉)は、世界的に知られる繁華なストリート(目抜き通り)です。当該地は、世界から最先端のモノが集まり、新しい商業施設が次々と誕生する流行の発信地であるとともに、関東大震災後の復興期に建てられた「SEIKO HOUSE GINZA(旧和光本館)」(昭和7年〈1932〉)・「教文館」(昭和8年〈1933〉)・「銀座ライオンビル」(昭和9年〈1934〉)といった昭和初期の近代建築物が点在しています。南北約1キロメートルに及ぶこの通りを歩いてみると、流行の先端と歴史ある建物とが調和した気品漂う街並みの雰囲気を感じ取ることができます。
銀座地区には、平成10年(1998)に条例化された「銀座ルール」(高さの最高限度56メートル〈屋上等の工作物は最高限度から10メートルを超えない範囲〉)に基づくビルが立ち並んでいますが、大正8年(1919)に公布(翌年施行)された市街地建築物法の絶対高さ制限(住居地以外で百尺〈30.3メートル〉を超える建築物を規制「百尺規制」)に基づく近代建築物が現在も銀座の目抜き通りに存在していること自体極めて希少です。
銀座七丁目9番街区の角地に立つ「銀座ライオンビル」もその1つで、昭和9年に大日本麦酒(だいにっぽんびーる)株式会社の本社ビルとして建設された後、昭和期の大規模な改修・改造(昭和14年・同54年)や平成に耐震壁工事(平成15年)などを行いながら現在に至っています。鉄骨鉄筋コンクリート造(地上6階・地下1階・塔屋(とうや)付)の当該建物は、中央通りに面する北西側を建物正面として三方向が道路(北東側は交詢社(こうじゅんしゃ)通り、南東側は信楽(しがらき)通り)に面しており、ライト式建築(アメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライトの手法)で知られる建築家・菅原栄蔵(すがわらえいぞう)(1892~1967)が設計を手掛け、竹中工務店の施工による商業ビルとなっています。
建物の外観は、インターナショナル・スタイルの要素を持ちながら、アール・デコ(ライト)調の直線的かつ幾何学的な装飾(1階「ビヤホールライオン」の外装、パラペット〈外周端部に壁を立ち上げて設けられた低い手すり壁〉周辺、6階・屋上部分)がみられます。また、2階以上の平滑な壁面には、コーナーも含めて水平連続窓が展開する(竣工時の壁面には柱型を表に出さない処理が施されていた)など、現代のオフィスビルの典型となる要素が備わった建物です。
建物内部は、1階の「ビヤホールライオン」と6階の「銀座クラシックホール(旧会議室)」を中心に、各階事務室・階段室・エレベーター前も含めてアール・デコを基調としたライト式の意匠が見て取れます。特に、昭和20年(1945)の進駐軍接収後もほぼ竣工時のまま使用(進駐軍専用のビアホールとして営業)したとされる1階は、味わい深い釉薬(ゆうやく)の色合いが引き立つタイル(山茶窯(つばきがま)製陶所製)張りの壁面に優れた梁型(はりがた)装飾があり、正面壁を中心に大小12枚のガラスモザイク(原案は菅原栄蔵・制作はガラス工芸家の大塚喜蔵)による壁画がホール内部に精彩を放っており、今では再現不可能ともいえる豪華な装飾がみられます。
竣工から間もなく90年を迎える当該ビルは、昭和期の空襲被害や戦後の建物接収を乗り越え、商業地区として発展する銀座と調和する希少な歴史的建造物となっています。
中央区教育委員会 学芸員 増山一成

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