ハリオグラスビル

掲載日:2023年7月20日

ページID:2742

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ハリオグラスビルの画像
ハリオグラスビル

種別

国登録有形文化財 建造物

所在地

日本橋富沢町9-3

広報紙コラム「区内の文化財」より(令和4年7月21日号)

どっしりとした重厚さと華麗な装飾を有する歴史的建造物と言えば、まず初めに銀行建築が想像されます。明治期以降に資本主義的な日本経済の成長が進む中、商業の中心地として発展してきた中央区エリアには近代的な銀行建物が次々と建てられていきました。現在、その数は少なくなりましたが、区内には明治29年(1896)竣工(しゅんこう)の日本銀行本店本館や震災復興建築として昭和4年(1929)に再建された三井本館など、銀行建築の代表格である重要文化財が現存しています。一方で、旧銀行をリノベーションして別の商業ビルとして利用しているもの、あるいは旧銀行のファサードの一部(玄関部分など)を新設ビルの意匠などに再現しているものなども存在しています。
日本の近代建築における最たる存在でもある銀行建物は、明治・大正・昭和と時代が変わっても銀行の持つイメージ(堅実性・信頼性・資金力・威厳など)を設計者らが建物に表現してきました。こうした普遍的な価値観が建物に反映されているが故に、旧銀行建物は現代にも多様なかたちで引き継がれているといえます。
日本橋富沢町9番街区の角地に立つ「ハリオグラスビル」も旧銀行建物の風格を有する近代建築です。当該ビルは、昭和7年(1932)に旧川崎財閥系の「川崎貯蓄銀行富沢町支店」として新築されています。川崎貯蓄銀行は、昭和11年(1936)に第百銀行と併合し、昭和18年(1943)に三菱銀行との合併などを経たものの、同行富沢町支店の建物は昭和12年(1937)から「常陽銀行」の支店(借受時は東京支店、戦後の買い受け後は堀留支店)経営の重要な資源として使用されていました。その後も60年以上にわたって営業が続けられましたが、平成10年(1998)の常陽銀行東京営業部への統合により廃店となり、平成12年(2000)から耐熱ガラスメーカーの本社ビルとして使用されています。
鉄筋コンクリート造の当該建物は、正面玄関を北西角の隅切り部に設け、間口に比して奥行きが深く(間口約10m・奥行約30m)とられた銀行建築にふさわしい形状です。元は地下1階・地上2階建てでしたが、後の増改築(建物背後の増築・中2階の増設・屋上に3階の増築など)を経て現在に至っています。
全体としては、溝彫りしたコリント式のオーダー(柱)を回しながら、北西角の玄関部分にはイオニア式とドリス式の両様式を取り入れた柱頭デザインが施されています。
旧銀行建築としては比較的小規模ながら、当建物は均整・調和のとれた古典的な美さを備える希少な文化財建造物となっています。
なお、建物の設計は、妻木頼黄(つまきよりなか)に師事した建築家・矢部又吉(1888~1941)が手掛けています。矢部は留学先のベルリン工科大学から帰国後、横浜に建築設計事務所を開設して川崎財閥系の建物設計を数多く手掛けました。中でも、横浜市中区には恩師である妻木設計の横浜正金銀行本店(現在の神奈川県立歴史博物館)と隣接して、矢部設計の川崎貯蓄銀行横浜支店(現在の損保ジャパン日本興亜横浜馬車道ビルに正面外壁と側面の一部が残る)があります。また、日本橋地区には昭和2(1927)に竣工した矢部設計の川崎銀行本店(現在のスターツ日本橋ビル(日本橋三丁目1番8号)に玄関部の意匠を再現)がありましたが、建て替えに伴って正面左端の外壁部分を保存し、博物館明治村(愛知県犬山市)への移築保存も図られています。
中央区教育委員会 学芸員
増山一成

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