繭山龍泉堂(まゆやまりゅうせんどう)

掲載日:2024年1月4日

ページID:2743

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繭山龍泉堂の画像
繭山龍泉堂

種別

国登録有形文化財 建造物

所在地

京橋二丁目5番9号

広報紙コラム「区内の文化財」より(令和4年8月21日号)

中央通りと昭和通りに挟まれた街区のうち、特に京橋三丁目街区の東側の通りから日本橋二丁目に立つ高島屋東京店の裏手(東側)に至る通りは、戦前から骨董(こっとう)商・美術商などが集中する“仲通り(通称)”として知られていました。明治中期頃に刊行された買い物手引『東京諸営業員録』(明治27年〈1894〉)をひもといてみると、骨董・古書画・刀剱(とうけん)などを商う骨董美術商がこの通り沿いに分布している様子が読み取れます。
関東大震災や昭和期の空襲被害を経て復興が進められた当該地区は、昨今の市街地整備や旧建物の建て替えなどもあり、通りの様相が大きく変化してきました。とはいえ、江戸時代には浮世絵師・歌川広重の住居や幕府の奥絵師・中橋(なかばし)狩野家の屋敷(現在の京橋一丁目)などが存在し、現在もアーティゾン美術館(京橋一丁目)や国立映画アーカイブ(京橋三丁目)が立地しているなど、古くから美術関連に縁ある土地の歴史が継承されているようにも感じます。
京橋二丁目5番街区の角地に立つ「繭山龍泉堂」は、京橋の地で大正9年(1920)から100年以上にわたって東洋古美術(古陶器や金石など)を扱う美術商として店舗を構えてきました。現在の建物は、昭和35年(1960)に再建された店舗兼住宅で、東畑建築事務(東畑謙三(とうはたけんぞう))の設計・鹿島建設株式会社の施工によって建設されました。建物東側の店舗正面は、かつて骨董美術商が集った歴史ある通り(昭和通りの1本西側に並走する通り)に面し、北側は京橋宝通りに面しています。
鉄筋コンクリート構造・陸屋根(ろくやね)(水平または水平に近い勾配の屋根)形式の当該建物は、1階と北東角の隅切り部分(1階から3階)に安山岩(香川県高松市で採掘された由良石(ゆらいし))が額縁状に回されており、特徴的な外壁仕上げがみられます。外壁周りの由良石は、鋸挽(のこび)きした際のさびを付着させた状態で石張りしたといわれており、自然石の色と相まって独特な風合いが生み出されています。また、縦長の窓を均整に並べた2階・3階部分の壁面には、伝統的な日本建築に用いられる弁柄(べんがら)(防腐・防汚の特性を持つ酸化第二鉄が主成分)を混ぜた黒漆喰(くろしっくい)でむらなく塗り込んであり、戦後復興期に携わった高度な左官職人の技が見て取れます。
なお、昭和58年(1983)の大規模な外装改修(塗装全般の塗り直しなど)で漆喰塗りの補修・塗装が施されましたが、近年の再改修工事によって当初仕上げの黒漆喰塗りへと復旧し、竣工(しゅんこう)時からの形態や意匠が比較的よく保持されています。
建築家・東畑謙三(1902~1998)が手掛けた戦前期の作品には、昭和5年(1930)竣工の国登録有形文化財・京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター(旧外務省東方文化学院京都研究所)が知られていますが、当該作品も東畑が手掛けた戦後復興期を代表する都市商業建築の好例として国の有形文化財に登録されています。東畑は昭和35年(1960)発行『国際建築』(第27巻・第12号)の中で「繭山竜泉堂は東京の古陶金石を中心にした古美術の世界的な老舗(しにせ)、売るものが古美術であり、訪ねる人が内外の数寄者(すきしゃ)であり、いずれもが東洋伝世の味に何物かを獲えようとする人々であるので、この建物はすべてこれらの品物の額椽(がくぶち)をなすものとして設計した。」と述べています。
中央区教育委員会 学芸員
増山一成

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