掲載日:2024年7月24日
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髙島屋東京店
種別
国指定重要文化財(建造物)
所在地
日本橋二丁目4番1号
広報紙コラム「区内の文化財」より(令和2年12月21日号)
日本橋二丁目の一角に立つ髙島屋東京店は、中央通りに面した建物西側を中心に、北・南・東の三方いずれから見ても変化に富んだ秀逸なデザインを有しています。平成21年(2009)には、外部・内装も含めて優れた意匠を持つことが評価され、日本の百貨店建築を代表するものの一つとして重要文化財指定を受けました。
天保2年(1831)に京都烏丸(からすま)の古着・木綿商(後に呉服太物商、呉服店へと発展)から始まった髙島屋は、大正5年(1916)に京橋区南伝馬町へ進出・開店しています。しかし、新店舗の建設を検討していた大正12年(1923)に関東大震災で焼失の憂き目に遭いました。
震災後は、仮店舗での営業を行う一方、日本橋二丁目(現在地)において事務所兼百貨店の建設を企図していた日本生命保険株式会社の計画に加わり、昭和8年(1933)に当初部(現在の本館西側約3分の1)を竣工(しゅんこう)させ、復興新店舗での営業を開始しました。
建築図案競技を行った当初部(当初名は「日本生命館」)は、高橋貞太郎(ていたろう)の一等作品が実施案として選定されました。鉄骨鉄筋コンクリート造(地上8階・地下2階)の構造で、内部には日本初となる全館冷暖房設備(アメリカ製)を備え、柱・壁にはイタリア産の大理石、柱上部や梁に施された彫刻、格天井(ごうてんじょう)や大階段のある2層吹き抜けの大ホールなど、当初からの豪華な設備・装飾は今も健在です。竣工時は6・7階に日本生命東京支店事務所があり(昭和38年に転出)、地下から屋上までの大部分を髙島屋の百貨店が占めていました。なお、竣工後も進められた増築工事は日中戦争の影響で中断されましたが、第4次にわたる戦後の増築工事(村野藤吾(とうご)の設計で昭和26年から昭和40年まで実施)によって、一街区におよぶ現在の姿となりました。
高橋による当初部の外観は、花崗岩(かこうがん)で仕上げた1・2階の基壇部に華麗な装飾の持送(もちおく)り(壁から突き出した構造物〈ブラケット〉)や装飾的なバルコニーがあり、タイル仕上げの3階から7階には柱間を3分割した端正な窓が並んでいます。さらに、2段の軒蛇腹を大きく張り出した最上階は、軒下に和風の垂木形(たるきがた)を表現した意匠があり、東西の意匠を織り交ぜたスタイルです。また、村野が手掛けた増築部分は、7・8階に当初部と連続したデザイン(高橋設計の意匠を継承)がみられますが、2階から6階には採光を重視したガラスブロックや南側のバルコニーに塑像を配するなど、モダンなデザインが見て取れます。
当該建造物は、当初部と増築部の調和がとれた意匠的完成度の高い作品となっています。
中央区総括文化財調査指導員
増山一成
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