掲載日:2023年1月18日
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太平洋戦争下の三越
戦時下では、軍事最優先のため、消費物資は、衣、食、住すべてにわたり生活を維持し得る最低線にまで、質・量とも統制から配給へと追い込まれていきました。また、戦争の拡大・激化にともない、男子従業員の応召が増え、戦争末期には、空襲により銀座・高松・仙台支店が全焼、また敗戦により外池支店等が閉鎖・接収され、未曾有の苦難の時代が続きました。
昭和16年(1941)ライオン像、供出へ
金属回収令の公布にともない、三越のシンボルともいえるライオン像を海軍省へ供出。ライオン像は、幸運にも溶解を免れ、戦後、東郷神社に放置されているところを社員によって発見され、元の本店正面入口に再び設置されました。
昭和17年(1942)衣料切符制施行
統制品である衣料品を公平に分配する目的で2月より実施。一人あたり、都市100点、郡部80点分の衣料切符を割り当てられ、年間の衣料全部を、この範囲内でまかなうことになりました。たとえば、背広上下は50点、ワイシャツは12点、靴下は2点でした。
昭和18年(1843)この年の本店新聞広告
資料提供:三越資料室
戦局はかなり切迫してきたというのに英字新聞は健在でした。お誂え、調整といっても現在でいえば、加工のレベルでした。中古品でも更正品でも使用できるのなら、貴重な生活用品だったのです。
昭和20年(1945)銀座支店全焼、新宿支店も罹災
撮影:石川光陽
5月25日の空襲で、三越では銀座支店を全焼したほか、新宿支店も一部も罹災、また、中野軍服織製工場も全焼しました。銀座支店報告書は「第二次攻撃により強風猛火の風下となり、停電、断水の状況下における防護団員の挺身敢闘も遂におよばず、全館焼失。宿直長および宿直員2名殉職せり」と記している。
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