掲載日:2023年1月18日
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焼け落ちた歌舞伎座
明治22年(1889)、江戸時代からの由緒ある地に開場した古典演劇の殿堂、歌舞伎座は、大正10年(1921)に漏電による火災で全焼し、再建中の大正12年(1823)9月1日、関東大震災で罹災、工事は一時頓挫したものの、大正13年(1924)末に竣工。鉄筋コンクリートを使用した耐震耐火、桃山風外観の日本式大建築でした。舞台は世界的にも珍しい「蛇の目廻し」で、照明設備は欧米から取り寄せるなど名実ともに日本一を誇る大劇場でした。
昭和初期、戦争が拡大を続けても、歌舞伎座は、名優が当たり役をつとめる定評ある古典、一流作家による格調高い新作、舞台機構を駆使した装置の見事さなどによって、話題となる興行を続けていました。しかし、昭和19年(1944)3月興行は演目と配役まで決まりながら、2月発布の「決戦非常装置要項」に基づく高級劇場の閉鎖命令のため中止。以後、歌舞伎座は東京都防衛局の管理となり、昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼失(注記)してしまいました。
歌舞伎座の再開場は、昭和26年(1961)。現在、歌舞伎座には新たな建て替え計画が予定されており、月日の流れの早さを感じます。
注記:現在の歌舞伎座の建物は、昭和20年5月の空襲で残された建物外周部を基に大改修が行われ、構造的にも補修されて昭和26年に新築落成されたものです。
昭和20年5月25日の空襲で、全焼した旧歌舞伎座 撮影:石川光陽
現在の歌舞伎座
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