掲載日:2023年1月18日

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「貴重な体験だった集団疎開」 秋山 保司

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遠足にでも行くような気分で行きました。池袋から東上線で東松山で降りて、そこから30分くらい歩いたところのお寺さんで、前は広い田んぼで、それから流川という川が少し離れたところに流れていましたから、割合景色は良かったです。お寺さんも南向きの日当たりのいいお寺さんでした。
そこには6年生の男子だけで、最初35人でした。2日3日と経つと、私たちもかなり寂しい思いしましたけれど、中には夜泣いたりする子も結構いました。それが恐らく10日以上は続きました。
トイレが外なんです。お寺さんですから回りがお墓で、ましてお葬式なんかあった後なんかは、怖くて。だから、みんなでトイレ行く時は起こせって、ぞろぞろぞろぞろ並んで行きました。それはほとんど毎晩でした。
大体3食ごはんを食べて、あの辺は、サツマイモが取れるところなので、サツマイモはよくの農家の方が持ってきてくれたりして、おやつに食べました。そんなに十分じゃなくて、本当にお茶碗に一杯ずつでしたから、柿を取りに行ったりして、ただ甘い柿は無くて、取って食べるとほとんどが渋い。
あと、イネが落ちていたから、稲穂を拾ってきて、そのお米を一つずつ缶詰のカンの中に入れて、それを炊いて食べようとしましたけれど、そんなに大して量はできなかったです。
あと、お月見とか、お寺さんだから亡くなるとお葬式があるので、お米で作ったお団子が上がりました。それを終わった後、ちょっと醤油で味付けしてそれをみんなに出してくれたから、結構、お葬式は楽しみで、また、団子が食べられるなんてこともありました。
ちょうど受験の関係があったものですから、実際は東京に帰ってから試験なしでどこもみんな入れましたけど、結構勉強は厳しく先生が教えてくれました。東京にいる時と同じような時間割りで、午前中約3時間と午後2時間ぐらいは先生が教えてくれました。それで、一月に1回ぐらい、そこから30分くらい離れたところの地元の小学校へ行って体育をやりました。ただ、地元の子どもたちと一緒にということはなかったです。
遊びは、お寺の敷地からあまり出ちゃいけないということでしたので、お寺の境内があまり広くなかったですから。そこで、農家の人が教えてくれたかな。竹とんぼやなんか一緒にやってくれたことがありました。そういうのは、その後も私の子どもたちにやり方教えたりはできましたから。
お寺さんを降りたところに2メートルくらいの小川が流れていて、そこで魚取りを、「かい堀り」と言ってましたけど、堰き止めて水を掻き出して、残った魚とか、ザリガニみたいなのを取りました。それは地元の子どもたちが教えてくれてやりました。
後はイナゴ取りですが。ちょうど秋にかけて、地元の農家の方や地元の子どもたちと一緒に。竹の袋を作ってくれて、そこに竹の筒の節を抜いたのを持って、それで取ってどんどん入れていく。その竹の口を閉じて、2、3日置いておくと糞が出てしまうので、それを今度は蒸して干す。ただ、あれは物のない時でしたけど、あんまり食べる気がしなかったです。

お世話になったみなさんへ

みなさん20歳から25歳までの女の方でしたから、あれで30人からの男の子の相手をするから、大変だったんじゃないかなと思います。だから、本当にお礼を改めて言いたい気分です。

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