掲載日:2023年1月18日

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「空腹だった疎開生活」 外田 光江

テキスト

6年生で疎開ということになって、もう戦争がすごくなってきたんで、早く行かないと命が危ないという感じで、行きなさい、行きなさいというから、寂しいというより夢中でした。

疎開先での生活1

本堂の大広間にみんな布団を引いて、雑魚寝という感じでしたから、寂しいですよ。おトイレがハシゴを2、3段下りてお墓が立っているところにあるんです。表に。我慢するったって限界があるから、みんなで連れ立って行って、キャーなんて言って。もう怖くて、怖くて。
ご飯はちょうど一善分。お野菜をヒャッと茹でたというか、炒めたというか、お腹がとにかく空いてるから、お寺の横の芋畑に行って、お百姓さんが掘った後のくずを拾って、井戸水のところに行ってそれを洗って、部屋にある火鉢の中に入れて、焼いて食べて、お腹を満たしてました。
村の学校へみんなで連れだって行きました。朝、寮母さんにお弁当を詰めてもらって、満足な朝のご飯もないから、男の子は、朝に昼の弁当を食べちゃう。そうすると、お昼はないから校庭をぐるぐる回って歩いて。私たちもお腹は空いてました。
もう本当にお寺と学校を往復するだけが精一杯。お寺に帰ってくれば、宿題もあるし、お風呂に入るのは五右衛門風呂で、それが何日かにいっぺんだから、シラミがわいちゃう。それで、満足にお湯も使えない。頭も洗えない。そういう状態でした。

炭俵づくり

一人何俵作りなさいという先生からの指示があって、山行って、鎌で茅を刈って、炭俵を作らなきゃならない。それが手ががさがさ切れちゃうから痛い。やっとの思いで一俵作った記憶があります。つらかったです。見よう見まねで人のを見ながらやっとやったという。

疎開先での生活2

今日は誰それさんのお母さんが来る。来られる人ばかりじゃありませんから、何か荷物が届くことがすごく楽しみでした。家自体に持ってくるような物がないから、寒いだろうって衣類でした。大部屋でしょう。本堂でダーッと布団引いて寝てましたから寒いですよ。火鉢しかないから。お風呂に入って暖まられるわけじゃないし、次から次へと早く順番がくるので出てしまわないといけない。中には男の子で、うちから布団を一枚しか持ってこられなくて、それだけ家族が兄弟が多いからその子には、それだけしか持たせられない。かしわになって寝るんですけど、男の子だから暴れるというか寝返りするとはぐれちゃったりして、その子を見ていて、なんとまあ、寒いのに。冬通してたから、かわいそうに。

3月8日 帰京

それこそうれしくて、自分の我が家に帰れて、両親のところにとにかく飛び込んでいくって感じ。わずか半年ぐらいでしたけど、ひもじい思いと畑の掘った後のサツマイモ拾いだけしか印象にはないです。くず芋を拾ってきて、水で洗って、それで火鉢の中に入れてとにかく食べました。

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