掲載日:2023年1月18日
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「老舗たい焼き屋も休業に」 竹内 保夫
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配給制度の中での営業
昭和16年頃からでしょうか。国全体の食料事情が非常に悪くなりました。お米は配給制で外食券食堂ができた頃には、私も使っていました。小豆、砂糖、小麦粉なども業務用の配給制でした。
それも戦争が長引くに従って、配給量がだんだん少なくなりました。わずかな配給で営業しますと、開店してから2時間くらいで材料がなくなり、本日終了というような状態でした。
鯛焼き屋を休業
昭和16年頃から、若い人がどんどん軍隊に取られて職人もいなくなったし、それからガスなどの燃料事情も悪くなりました。止むを得ず、鯛焼の製造は一時休止して、親父とおふくろで細々と甘味喫茶を営業しました。その配給も戦争末期にはなくなり、戦後、今のように営業出来るようになったのは、昭和27年からでした。大変な時代だったと思います。
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