掲載日:2023年1月18日
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「つらかった学童疎開」 八ッ橋 經明
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もう田舎生活なんて初めてだから、疎開で行った時に向こうの同じ学年の生徒たちが出迎えてくれたけれど、中には、蛇をポーンと投げてくる奴もいた。
そんな感じで歓迎は受けたけれど、あまり土地の人達といっしょに遊ぶという事はなかった。だから今思えば、東京から行った東京者ばかりで遊んでいた。
疎開先での食糧事情
とにかくひどかった。
ご飯も初めから、米のご飯はある程度出たけども、中に薩摩芋が入ったり、じゃが芋が入ったり、いろいろ工夫して一応は食べさせてはくれたけど、その芋だって、昔の戦争中の芋は、農林1号という薩摩芋は味も素っ気もないまずい芋。
そんなような物を食べさせられたり、かぼちゃだって今みたいに甘いかぼちゃじゃなくて、スカスカでまずいかぼちゃだとかそういう物を食べていた感じだった。
ともかく、三度三度は一応出たけど、そうお腹一杯食べるという事は無かった。だから、その外へ出て行って、何か食う物ないかなぁって、遊びながら桑の実が出来る頃は、桑の実を食べたり。だからひどい時には、ほおずきの実まで食べた。
後は、草鞋を買うと、薩摩芋の乾燥した物をくれるので、履かない草鞋を買ったりして、その芋ほしさに、買いにいった事もあった。お腹を一杯満たす甘い物が食べたい、そういうことを東京にいる親に手紙を書くわけ。面会に来いって。
その時に、何と何を持ってきてくれ、おはぎを持ってきてくれだとか、色々頼む。
全部が全部持ってくるわけではないけれど、それを頼まれた親が見に来る。そうするとどうしても皆に食べさせるわけには行かないから、隠れて食べさせたりすると、すぐばれてしまう。というのは、あまり食べ慣れないからお腹を下してしまう。
そんな感じで、とにかく食べる物には、苦労した。そういう生活だった。
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