掲載日:2023年1月18日

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「伝馬船で逃げた東京大空襲」 大木 淑子

テキスト

11時くらいに警戒警報が鳴ったんだと思います。それで、起こされて着る物を着なさいで。みんな各家庭の1階の地下に防空壕を掘っていましたから、その中に入りました。
「敵機襲来!」というメガホンで言っているのが聞こえて、「あ!これは大変だ!逃げなくちゃ」と。祖母は、お位牌をみんな小さいリュックサックに持って、母は寝間着を着たままもんぺを履いて、その上に何か羽織って、それで、私はオーバーを着て、子どもですからランドセルしょったりして。
いっぺん、何を思ったのか、2階に駆け上がると、階段上がったすぐの部屋に、焼夷弾が屋根を突き抜けて落ちて、火を噴いている。もうびっくりして降りて来て「大変だ!」って言って、女、子どもだけで逃げたんです。
それから、霊岸島を越えると新川なんですけど、逃げていく人が、そっちに行ったので、わたしたちもつられて逃げていったんです。
そのうちに、永代橋の上流に向かって行くと、永代橋の川の左側に倉庫がいっぱいありました。それは大きな建物で、B29が爆弾を落としても、その建物は9階の高さがあるし、爆弾は下まで来ないで、2階で止まるだろうから、そこへ行こうと、行ってみたらもう中はいっぱいでした。それで、入口の方しか入れないので、入口の方でどのくらいいたのかわかりませんが、まあ、小一時間くらいでしょうか。
そのうち、入口の方に焼夷弾が落とされると燃えてしまうと、被服廠の二の舞になるから出た方が良いって言うんで、押し出されました。
その時は、隅田川のこちら側は別に焼けてないんです。ただ、隅田川の向こうの江東地区がもう真っ赤に燃えていました。どこへ行けばいいのか、行くところがなくて・・・。そしたら、大人の誰かが「船に逃げろ!」って言って、船を見ると倉庫に荷揚げするための伝馬船がいくつか川に浮かんでいたんです。
その船頭さんたちは、長い柄杓で何か水をかけていました。その船頭さんたちは、「ここに飛び降りろ!」って言うんですけど、岸壁から2メートル近くあったように思いましたが、でも飛び降りても誰もねんざしないんですね。だから、火事場のバカ力的なものが働いたんじゃないかなと思うんです。
火の手の弱い方に、あっちに行ったり、こっちに行ったりしてましたけど、風がすごく強くなって、もういっぱい火の粉が飛んでくるんです。
火の粉というより、こんなに大きい固まりですね。畳一枚くらいの火の粉がくるくる回りながら隅田川に落ちていきました。
大人は、大変だ。これからどうしようと思ったかも知れないけど、ただ、私は母も祖母もいますから、大丈夫なんだろうと思っていました。
8時か9時じゃないかと思うんです。あの証券取引所の後ろの辺に船を着けてくれて、八丁堀辺りからはあんまりもう家は焼けてなかったです。逃げてくる方からいうと江東地区が東の方に当たるんですね。だから、その黒いくすぶっている煙とちょろちょろ下が燃えている煙の中で、まるで、皆既日食の弱いような煙の中に橙色っぽい、黄色っぽい太陽が見えました。
茅場町と八丁堀の辺りを左に来ると、前の都庁前の都電通りになるんです。その辺に来て、やれやれという感じがしました。

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