中央区民文化財102 清川玄道関係文書(きよかわげんどうかんけいぶんしょ)
更新日:2020年11月24日
本資料は、幕末から明治期にかけて京橋采女町(うねめちょう)(現銀座五丁目)に居住した漢方医清川玄道の関係資料です。
清川家は代々玄道を襲名する漢方医の家で、五代目玄道は伊沢蘭軒の子息らに学び、元治元年(1864)に家督を継ぎました。明治維新に際して東京府士族となり、同志と漢方医学を実践する博済病院を設立しました。また漢方医の浅田宗伯(あさだそうはく)らが西洋医学に対抗して組織した漢方医学研究所温知社(おんちしゃ)にも携わり、漢方医学の復興に努めました。本資料はこの五代目と六代目の清川玄道に関する資料とみられ、約半数が患者の容体記録と日記です。容体記録には患者の氏名・住所・職業・死因などが書かれており、清川玄道の診療を受けた人々の居住範囲や当時の病態、死因などを知ることができます。また日記や容体記録の中には、明治政府からの通達の写しや住居の類焼記録などが記されており、清川玄道の職務と生活の様子をうかがうことができます。これらは区内の漢方医の貴重な記録であり、特に一般の人々の様相が分かる容体記録は他に例がないものです。また資料が少ない清川玄道の職務や交流が具体的に分かるものでもあり、当時の漢方医学界の一面がうかがえる点でも有用な資料です。
清川玄道関係文書
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