掲載日:2023年1月18日
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家の外
防火用具
公園や学校、各家庭には、空襲の被害を避ける場所として地面を掘り下げて「防空壕」が作られました。また、まちかどには防火用水槽が置かれていました。
防火用水
街が延焼するのを防ぐため、火災に備えて消火用の水を張っておく防火用水が用意されていました。
昭和館所蔵
消火弾
消火液の入ったガラス製の消火器です。火中に勢いよく投げつけて容器を砕き、中の液体で消化します。
郷土天文館所蔵
火たたき
飛んできた火の粉をたたきつけ、燃え移るのを防ぐための道具。
昭和館所蔵
防空頭巾
防空頭巾は、空襲のときに爆弾の破片や熱などから頭部や顔を守るため作られたものです。大人も子どもも常に持ち歩いていました。中は座布団のように綿が詰められていて首の部分にはひもが付けられており、ヘルメットのような役割を果たしました。防空頭巾には、ケガをした人が誰なのかを確認するため、内側に氏名・年齢・住所等が記載された布が縫い付けられていましたが、激しい空襲では防空頭巾も燃えてしまったようです。
昭和館所蔵
昭和館所蔵
水筒
水は貴重であったため、常時水筒を持ち歩くようにしていました。
郷土天文館所蔵
女性の防空服装
戦争中に女性の標準服とされた服装です。消火・避難などにおいて、素早く行動できるように「もんぺ」が奨励されました。和服をほどいて生地に戻し直線に切って縫い合わせます。ゆったりとした胴回りと、足首の部分で絞ったすそが特徴です。
昭和館所蔵
防空サイレン
これは警戒警報や空襲警報等の発令を伝えるために使用した手動式サイレンです。ハンドルを回すと鋭い高い音が出て、人々に避難や防火の準備をするように伝えました。
郷土天文館所蔵
空襲警報看板
空襲警報伝達用の看板。空襲警報が発令されると同時に官公署・学校・駅・百貨店・主要道路の交差点等、人々が見やすい箇所に掲示しました。
郷土天文館所蔵
国民服
1940(昭和15)年11月、国民服令が公布され、男性の標準服として国民服を着ることが奨励されました。この服は、いつでも軍服にかえられるようにカーキ色または茶褐色になっていました。
昭和館所蔵
女子学生
戦争が激しくなり長期化してくると、政府は高等科や中学校、女学校の生徒に対して、学校での勉強を一時中断して、工場や農村で働くようにという命令を出しました(学徒勤労動員)。若い女性は、戦争を支える重要な働き手でした。
昭和館所蔵
学童・学徒
昭和16(1941)年4月から「尋常小学校」が「国民学校」と名前を変え、初等科が6年間、高等科が2年間の8年制の学校になりました。5年生以上の学年には「武道」という時間が設けられ、男子は剣道や柔道などを、女子はなぎなたや看護などの訓練が行われるようになりました。昭和19年6月には、政府は都市部に住んでいる学童(児童)を、空襲の少ない農村部へうつすよう命令を出しました。これを「学童疎開」といいます。幼い子どもにとって、両親と別れての生活は辛くて悲しいものでした。
学童服 昭和館所蔵
名札 昭和館所蔵
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