八丁堀三丁目遺跡内朗惺寺跡出土蔵骨器 附瀬戸・美濃産陶器鳴海織部向付(はっちょうぼりさんちょうめいせきないろうせいじあとしゅつどぞうこつき つけたりせと・みのさんとうきなるみおりべむこうづけ)

掲載日:2023年7月19日

ページID:4263

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第6号蔵骨器(B)〈瀬戸・美濃産陶器〉の画像
第6号蔵骨器(B)〈瀬戸・美濃産陶器〉

種別

区民有形文化財 考古資料

所在地

新富一丁目13番14号 郷土資料館

員数

23点(附:向付1点)

年代

江戸時代

登録年月日

平成26年4月1日

登録基準

〔5〕

  • イ、各時代の遺物等で、学術的価値のあるもの
  • ロ、区の歴史上重要と認められるもの

広報紙コラム「区内の文化財」より(平成31年1月21日号掲載)

品川区小山に所在する日蓮宗寺院・興栄山朗惺寺は、400年以上前に八丁堀で創建された寺院です。当寺は明暦3年(1657)の大火後に進められた江戸城と城下の復興整備に伴って、芝二本榎町二丁目(現在の港区高輪)へ転出(現在地には明治43年に再移転)するまで八丁堀の地にありました。なお、朗惺寺の跡地からは近世初頭の木製供養経文・こけら経(区民有形文化財 考古資料)をはじめ、数多くの出土遺物や遺構が検出されています。
今回の文化財は、調査年および調査地点が異なる八丁堀三丁目遺跡(昭和61年実施の一次調査と平成13年実施の二次調査)から出土した蔵骨器です。一次調査では概ね朗惺寺旧寺域の北西隅、二次調査では北東隅に位置する地点を調査しており、いずれも江戸時代初期の朗惺寺墓域から墓制・葬制の様相がうかがえる遺構や遺物が確認されました。このうち良好な遺存状態で出土した23点(一次調査11点・二次調査12点)の蔵骨器を文化財として選定しました。主に火葬後の骨灰を納める蔵骨器(骨蔵器とも、通称では骨壺)は、古代以降に火葬の普及に伴って製作・使用された容器(時代や被葬者の身分階層などによっても材質・器形の違いがある)ですが、実は他の容器を転用する場合が数多くあります。
八丁堀三丁目遺跡で出土した蔵骨器には、そのほとんどに火葬骨が納められており、一部には副葬品と思われる銭貨が内容物として確認されています。また、文化財登録に至った蔵骨器の産地や材質などの分析結果によると、一次調査の資料からは常滑産せっ器(注記:「せっ」は「火」の右に「石」と表記します)の壺を中心に、瀬戸・美濃産陶器の壺(双耳壺・四耳壺など)、信楽産陶器の四耳壺、伊賀または信楽産陶器の水指(茶道具の転用)などが、二次調査の資料からは瀬戸・美濃産陶器の壺(双耳壺・三耳壺など)を中心に、常滑産せっ器の壺や甕、信楽産陶器の四耳壺などが確認されています。なお、本来は実用的な葉茶壺(碾茶〈葉茶〉の保存容器)として用いられていた陶器壺(信楽産や瀬戸・美濃産)の転用が散見される他、小皿(江戸在地産の土師質土器)・香炉(瀬戸・美濃産陶器)・小壷(肥前産磁器)を蓋に用いるなど、多様な器種の転用事例がみられました。これらの蔵骨器は、一次調査で出土した諧調豊かな茶陶の鳴海織部向付(瀬戸・美濃産陶器)とともに貴重な文化財といえます。
中央区総括文化財調査指導員
増山 一成

お問い合わせ先

教育委員会事務局図書文化財課郷土資料館

〒104-0041 新富一丁目13番14号

電話:03-3551-2167

ファクス:03-3551-2712

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