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中央区民文化財104 日本橋蛎殻町一丁目遺跡内 播磨国山崎藩本多家屋敷跡125号遺構出土遺物(にほんばしかきがらちょういっちょうめいせきない はりまこくやまさきはんほんだけやしきあとひゃくにじゅうごごういこうしゅつどいぶつ)

更新日:2021年6月15日

本資料は、平成14年から平成15年の発掘調査で出土しました。これらは播磨国山崎(やまさき)藩(現兵庫県宍粟(しそう)市山崎(やまさき)町(ちょう))1万石の譜代(ふだい)大名、本多家の屋敷跡から出土した陶磁器・土器や土製品、金属製品、銭貨、石製品など、計96点です。本多家は享保17年(1732)から元治(げんじ)元年(1864)まで132年間遺跡地に屋敷を構えていました。この本多家は、いわゆる徳川四天王の一人である本多忠勝の系統から出た分家であり、徳川家の縁戚にあたります。125号遺構は、火事の後片付けの際に掘られたゴミ穴(約5×2m、深さ約0.6m)で、多量の焼土や焼けた遺物が多く捨てられていました。これらは江戸時代中期のもので、当時贈答や献上に使用されていた、肥前国(現佐賀県・長崎県)でつくられた鍋島(なべしま)焼の磁器五寸皿(ごすんざら)が含まれます。このほかにも高級なやきものが多数出土しており、区内の発掘調査ではほかに例をみないものです。また、大名として最小規模である1万石の大名屋敷の発掘事例そのものが極めて少なく、貴重な事例です。こうした遺物は、中央区の一角に屋敷を構えていた譜代大名本多家の格式や生活を知るうえで欠くことのできない遺物であり、中央区の歴史を理解するうえで重要な考古資料であると思われます。

中央区民文化財104 日本橋蛎殻町一丁目遺跡内 播磨国山崎藩本多家屋敷跡125号遺構出土遺物の画像
日本橋蛎殻町一丁目遺跡内 播磨国山崎藩本多家屋敷跡125号遺構出土遺物

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タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)
電話:03-3546-5537

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