掲載日:2023年1月18日

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「東京大空襲の焼け跡に立ちすくむ」 中村 梅吉

テキスト

3月9日の晩から10日の朝にかけての空襲だったんですが、警戒警報だの空襲警報が鳴って、焼夷弾は落こってきて、とにかく回りが赤くなってました。
夜が明けて、そしたら父親が、お前、本所深川は大変らしいよ。ひどい目にあっちゃったらしいよ。どこかからか聞いてきたんですよ。それで、私の学校が本所で、今日は9時から自分が勤務だったから、どうしても行かなくちゃいけなかったので、親父の自転車借りて。
永代橋渡るまでもう焼け野原でした。江東橋渡ると私の学校は、すぐ右側ですから、緑町一丁目の時にはじめて黒こげの死体を見たんです。
それが、一番最初に死体だと分からないんです。何でこんな所にマネキン人形を誰か置き忘れたのか、こんなところに置いちゃったんだろうなと思ったんです。それで、そのマネキン人形が、ぼこぼこぼこぼこ増えていくんです。あ!これは死体なんだ!と思って、江東橋のところまで行ったら、もう道が真っ黒げなんです。
あの臭いだけは、絶対に渡せないんだよね。後の人に。すごい臭いなんですよ。あの煎った豆の臭いがあの臭いなんですよ。それから、私は大豆の煎ったのは、一切食べなくなりました。
それで、学校の門があって、その前に正門がありまして、小さな池になっているです。そこに何体か死体があったんですけども、一体は忘れもしません。ばたっと、水面へ顔を漬けられてこと切れたんです。上半身は水の中ですから、生身っていうか人間の色なんです。下半身が全部真っ黒けなんです。それを見て、すげーなっと思いました。
玄関入ったら、講堂はと思ったら、講堂は木造で、鉄骨の木造なんです。それで、鉄骨がむにゃっとなっちゃって、そこの前にも何体か死体があったんですが、丁度このくらいの赤ちゃんが、黒こげで上を向いて、その頭がどっち向いていたか覚えてないですけど、修羅場があったんでしょうね。
その真っ黒な赤ん坊の頭を誰か踏んづけちゃったんですよ。それで、当時軍隊の靴っていうのは、鋲が打ってありまして、その鋲が残っているんです。潰れた頭蓋骨に。
そこから、気を取り直して左の方に行って、事務室が木造の戸なんですけど、ちゃんとしているんです。あれ?っと思って、何となくスーッと扉をやったら開くんです。そしたら、人の頭がいっぱい見えて、それが黒くなっていないわけだ。私は、全部死んじゃっている人だと思ったわけ。そしたら向こうの方で、ふっと動いた人がいるんだ。
そこにいた方は、みんな助かった方なんですよ。焼け残った部屋というのは、その一部屋だけなんです。
その恐々、私が開けた扉の外側では、真っ黒くなって亡くなっている方、しかも、頭を踏んづけられた赤ん坊までいるわけです。人間の運不運というのか、その1メートルか2メートルの差が生死の差なんだよね。
まあ、あの運動場に行ったら、運動場でも何体か死体見たんだけど、そこで、また、空襲警報が鳴って、またかよと思って、ふっと上を見たら、B29が単機で飛んでいるんです。
つまり、その前の日に焼けたものがどのくらい焼けたのか、戦果確認に来てるんだよね。敵は。だけど、悔しいとかやっつけてやりたいとかという気持ちは、妙に起きなかった。
要するに、民間の関係ない人間を殺したらいけないとか、捕虜を虐待したらいけないとか、そういうルールを我々は一回も聞いたことないわけ。だから、知らないってことは、これほど恐ろしいことはないんですよ。

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