新大橋の橋名板(しんおおはしのきょうめいばん)

掲載日:2023年7月18日

ページID:4314

ここから本文です。

新大橋の橋名板の画像
新大橋の橋名板

種別

区民有形文化財 工芸品

所在地

新富一丁目13番14号 郷土資料館

員数

1枚

年代

明治45年

登録年月日

平成8年4月1日

登録基準

〔2〕

  • ニ、歴史的又は学術的に価値のあるもの
  • ホ、区の歴史、文化に関係の深いもの

広報紙コラム「区内の文化財」より(平成27年7月21日号掲載)

隅田川橋梁の一つである新大橋は、日本橋浜町二・三丁目と江東区新大橋一丁目を結ぶシンプルなデザインの斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直結させる橋)です。主塔と橋桁は黄色、高欄(橋の欄干部分)には白色を配した明るい色調の橋となっています。現在の新大橋は昭和52年竣工の新しい橋ですが、実は隅田川に架かる橋の中でも千住大橋、両国橋に次いで古い歴史を持つ橋なのです。
幕府編纂の地誌『御府内備考』には、御入用橋(幕府直轄の公儀橋)として、元禄6年(1693)に水戸徳川家屋敷の上地(返納した知行地)から深川元町(現在の江東区常盤一丁目)へ架橋されたとあります。また、橋名は千住大橋に対して新大橋と命名(両国橋の旧称〈大橋〉に基づく説もあり)したと記されています。橋は江戸時代を通して修理や架け替えが繰り返し行われ、延享元年(1744)には町人維持の町橋となりました。なお、歌川広重の作品「大はしあたけの夕立」(『名所江戸百景』シリーズの一つ)には、新大橋が夕立の情景の中で見事に描かれており、ゴッホ(後期印象派の画家)の模写作品とともによく知られています。
木造の新大橋は、明治45年(1912)に全長約173メートル・幅員約25メートルの三径間・鋼プラットトラス(斜材を上向きに開いて配した三角形の骨組構造)橋として改架(架設位置は約200メートル上流の現在地)されました。構造・装飾設計には東京市の技師が携わり、重厚感のある鋼材(アメリカ製)とは対照的に、正面上部に掲げられた装飾性の高い橋名板や歩道高欄・親柱などの優美なデザインにも特徴がありました。さらに、道路橋としての床版は厚鋼板にコンクリートを打設してアスファルト舗装が施されました。このため、大正12年(1923)の関東大震災では焼失・落橋することもなく、橋上の避難者を救ったといわれています。
旧橋は現在の橋へと改架される際に撤去(左岸橋詰に親柱一基と高欄の一部を保存)されましたが、中央区側の橋名板(「新大橋」の文字は野村素介筆)は取り外された後に明治期の貴重な土木・産業遺産(遺物)として文化財となりました。なお、江東区側の橋名板は同区立八名川小学校内に移設保存され、旧橋の一部(一径間の半分)は博物館明治村(愛知県犬山市)に移築保存が図られています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

お問い合わせ先

教育委員会事務局図書文化財課郷土資料館

〒104-0041 新富一丁目13番14号

電話:03-3551-2167

ファクス:03-3551-2712

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?

中央区を、知る about Chuo City > 中央区内の文化財 > 区民有形文化財 > 工芸品 > 新大橋の橋名板(しんおおはしのきょうめいばん)