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中央区民文化財21 鐵砲洲稲荷神社の富士塚(てっぽうずいなりじんじゃのふじづか)

更新日:2022年4月11日

鐵砲洲稲荷神社の富士塚の画像
鐵砲洲稲荷神社の富士塚

種別

区民有形民俗文化財

所在地

湊一丁目6番7号 鐵砲洲稲荷神社

員数

1基

年代

昭和11年

登録年月日

平成4年4月1日

登録基準

〔1〕ホ、信仰に用いられるもの(祭祀具、法会具、奉納物、偶像類、呪術用具、社祠等)

広報紙コラム「区内の文化財」より(平成25年2月21日号掲載)

鐵砲洲稲荷神社には、境内北西に「富士塚」が築造されています。富士塚とは、富士信仰の講中(神社・仏閣への参詣などを目的に作られた信仰者の仲間)が富士山を模して造営した人工の塚です。
日本では、古くから富士山を霊峰として崇拝し、信仰登山も盛んに行われてきました。特に江戸では、人々の生活と富士が深く結びついており、1月3日早朝に行う初富士の礼拝、6月1日の山開き(家々の軒下で線香を焚いて富士を遙拝)や浅間神社の祭礼などの年中行事もありました。
江戸時代中期になると、江戸を中心に庶民の間で富士登拝を目的とする富士講(富士山を信仰対象として結ばれた宗教組織)が生まれ、その後も"八百八講"といわれるほど数多くの枝講が生まれました。白装束に身を固めた行者スタイルでの富士登拝は危険を伴う厳しい長旅でした。そこで、老人・子ども・女性などでも富士参詣(富士塚登拝)が出来るようにと各所に人造富士が築かれたのです。
鐵砲洲稲荷神社の富士塚は、明治7年(1874)に再築造(「湊稲荷」と称した旧社地・現在の湊一丁目8番付近には寛政2年築造の富士塚があった)されたものです。その後、関東大震災後の区画整理(昭和3年)や社殿造営(昭和11年)に伴う移設などを経て現在に至っています。
この富士塚は、富士山の五合目以上の姿を模したもので、山腹全体は富士の岩肌を表現するように黒ぼく石(富士山の溶岩)で覆われています。高さ約5メートル・面積約95平方メートルの塚には、自然石で造られた「く」の字形の登山道が設けられ、正面左手前に池、右手の山裾に洞窟(開祖・長谷川角行が修行した人穴を再現)、中腹に末廣稲荷と稲荷大神の石祠、山頂付近に烏帽子型の白い巨石(中興の祖・食行身禄の入定を象徴)、山頂に奥宮(富士浅間神社の石祠)が祀られています。
また、山腹には富士講に関する32基の石碑があり、中でも「藤」の講印(講紋)が陰刻された「丸藤講(身禄の弟子・高田藤四郎を講祖とする組織)」の記念碑が数多く建立されています。碑銘には、丸藤講の先達(信仰面の指導者)や講元(運営面での責任者)名が記されており、富士講が盛んであった様子が想像されます。
中央区主任文化財調査指導員
増山一成

お問い合わせ

タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)
電話:03-3546-5537

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