郵便発祥の地(ゆうびんはっしょうのち)

掲載日:2023年7月20日

ページID:4351

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郵便発祥の地碑の画像
郵便発祥の地碑

種別

区民史跡

所在地

日本橋一丁目18番1号 日本橋郵便局

登録年月日

平成5年4月1日

登録基準

区の歴史を理解する上で重要と認められる場所

広報紙コラム「区内の文化財」より(平成25年11月21日号掲載)

情報通信の発達が著しい昨今、メール(mail)と言えば、郵便・郵便物の意味より、電子メールを意味することの方が多いかもしれません。とは言え、郵便を介する信書(書状・はがき)などは、殊に相手のぬくもりや思いが伝わる古代からの貴重なふみの文化です。
今回の文化財は、日本における近代的な郵便事業が開始された歴史上重要な場所「郵便発祥の地」を紹介します。「郵便」という言葉が遣われ始めたのは、今から約140年前の明治初年のことで、これ以前の日本では伝馬や飛脚が文書・小荷物などを送達していました。
五街道や脇街道が整備された江戸時代には、街道の宿場で継立(人馬を替えて送り継ぐ)する「伝馬制度」や「飛脚制度」(宿場ごとに人足が交替する幕府公用の「継飛脚」、国元と江戸藩邸との通信用の「大名飛脚」、町人営業の「町飛脚」(江戸の定飛脚・大坂の三度飛脚・京都の順番飛脚など)が情報伝達の手段として発達しました。
明治新政府になると、幕藩体制以来のネットワーク(宿駅などの交通網)を利用しながら、国内の政治的統一を図るための制度改革と新たな情報網の確立を急ぎ行いました。というのも、欧米諸国で各国間の自由郵便を可能とする国際郵便網を制度化(1874年に国際組織「万国郵便連合」設立、日本は1877年に加盟)する動きがあり、日本でも従来の飛脚制度に代わる通信事業の近代化が必要となったのです。
日本の近代郵便制度は、明治3年(1870)に駅逓権正・前島密(1835から1919)が建議した官営独占による郵便事業の創設が契機となり、明治4年3月1日、東京-京都-大阪の3都市とその間を結ぶ東海道筋の宿駅(62カ所の郵便取扱所)で新式郵便業務が開始されました。そしてこの時、江戸橋南詰の当該地に新設されたのが、郵便・輸送行政を専管した官庁「駅逓司」(駅逓寮・駅逓局と改称、逓信省へと移管・移転)と取扱機関「東京郵便役所」(東京中央郵便局に発展、同局の丸の内移転後に日本橋郵便局)です。郵便切手の発行(明治4年)・全国均一料金制(明治6年)など、郵便物を公私の別なく迅速・低料金で届ける新式郵便制度はこうして誕生しました。現在、日本橋郵便局前には、日本の“郵便事始めの地”を証徴するように、前島密の胸像をいただく石碑が建立されています。
中央区主任文化財調査指導員
増山一成

お問い合わせ先

教育委員会事務局図書文化財課郷土資料館

〒104-0041 新富一丁目13番14号

電話:03-3551-2167

ファクス:03-3551-2712

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