平野活版製造所(平野富二)製造の活版印刷機(ひらのかっぱんせいぞうしょ(ひらのとみじ)せいぞうのかっぱんいんさつき)

掲載日:2023年7月18日

ページID:4270

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平野活版製造所(平野富二)製造の活版印刷機の画像
平野活版製造所(平野富二)製造の活版印刷機

種別

区民有形文化財 歴史資料

所在地

入船二丁目9番2号

員数

1台

年代

明治10年頃

登録年月日

平成19年4月1日

登録基準

〔6〕

  • イ、歴史上の事象に関する遺品で、学術的価値のあるもの
  • ハ、区の歴史上重要と認められるもの

広報紙コラム「区内の文化財」より(平成30年3月21日号掲載)

情報の電子化が進む今日、インクを用いて版面の文字・図・写真などを紙媒体に刷り出した印刷物の利用が減少しているともいわれています。何世紀にもわたって紙を活用してきた日本では、古くから仏教と結び付いて木版による経典・印仏(陽刻した仏像図の版画)の印刷などが盛んに行われてきました。江戸時代には、さまざまな紙書物をはじめ、多色刷りの浮世絵(錦絵)や引札・護符に至るまで多種多様な印刷物が普及し、日本独自の高度な木版印刷技術が発達しました。そして幕末・明治初頭に至ると、これまでの木版(整版)にはない作業効率や情報量を提供できる洋式活版印刷の技術(印刷機)が日本に導入され、明治維新以降に本格化していきました。
中央区内には、明治6年(1873)に第一大区十小区築地二丁目20番(現在の築地一丁目12番)の地で開業した平野活版製造所(後に東京築地活版製造所と改称、昭和13年に解散)が製造した国産の平圧式活版印刷機が現存しています。明治期の日本では、西洋からアルビオンプレス型(イギリスで開発された手引き活版印刷機)の印刷機が数多く輸入されるとともに、国内でもこの形態を模倣した印刷機が製造されていました。今回の文化財である平野活版製造所製の活版印刷機もこの一つで、日本の近代活版印刷の先駆者・平野富二(1846から1892)が開発・製造した明治前期の希少な国産印刷機です。
この活版印刷機は、アルビオンプレス型を模した鉄製印刷機械(高さ約170センチメートル・幅約70センチメートル・奥行約90センチメートル)で、本体上部三カ所に平野活版製造所の登録商標「(H)」(丸の内側左部分にへこみ有り)が施されています。印刷機械の製造には蒸気機関が用いられていたこともあり、平野活版製造所では石川島平野造船所(明治9年に平野が開設した民間造船所でIHIの前身)内に設けた機械製造部門で製造しました。実際の印刷は、鋳造した活字組版(活字を組み合わせて作った版)にインクを載せて紙を置き、上蓋をして本体下部の円筒に巻きつけた皮ベルトでプレス場所へ移動後、プレスレバーを引いて加圧して紙に転写する仕組みです。この資料は日本の近代印刷文化を伝える貴重な産業遺産といえます。
中央区総括文化財調査指導員
増山一成

お問い合わせ先

教育委員会事務局図書文化財課郷土資料館

〒104-0041 新富一丁目13番14号

電話:03-3551-2167

ファクス:03-3551-2712

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