勝鬨橋(かちどきばし)

掲載日:2023年7月20日

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勝鬨橋の画像
勝鬨橋

種別

国指定重要文化財 建造物

所在地

築地六丁目から勝どき一丁目

広報紙コラム「区内の文化財」より(令和3年7月21日号)

隅田川を挟んで築地地区と勝どき地区を結ぶ橋といえば、近年開通した築地大橋が話題を呼びました。隅田川の最下流に架かるこの橋は、区内の臨海部を通って江東区の豊洲市場・有明地区を結ぶ東京都市計画道路環状第2号線の一部です。また、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会では、晴海地区に建設された選手村の宿泊施設と競技会場とを結ぶ幹線橋梁(きょうりょう)としての役割もあります。
築地大橋が竣工・開通するまで、昭和・平成と75年以上にわたって隅田川の最下流(河口から約500メートル上流)に位置していた橋が「勝鬨橋」です。昭和15年(1940)に竣工・開通した勝鬨橋は、築地と月島を連絡する渡船交通(佃の渡し・月島の渡し・勝鬨の渡し)に替わる交通手段(海運・陸運を支える可動橋)として大きな役割を担っていました。なお、勝鬨橋架橋以前は、渡船以外の交通ルートであった相生橋(隅田川支川の橋)が月島地域を結ぶ唯一の陸路(連絡橋)でした。このため、明治末年から東京港修築工事(東京港の水陸連絡・港内の埋立地開発など)の一環として、工業地帯へと発展を遂げる月島地域との交通の利便性・安全性を確保し、3千トン級の船舶が通船可能となる可動橋の計画を進めていました。
橋梁設計(東京市の成瀬勝武(なるせかつたけ)が指導)を担当した東京市技師・安宅勝(やすみまさる)の講演記録(『土木学会第1回年次学術講演会講演』)によると、昭和7年(1932)2月の起工から約8年の工事(第1期から第4期工事)を経て竣工しています。第1期は地質調査と橋台・護岸の一部建設、第2期は橋脚建設・月島側の側径間架設・前後道路の一部建設、第3期は中央径間架設・運転設備設置、第4期は築地側の側径間架設・橋台・前後道路建設が実施されました。なお、橋梁製作には、株式会社横河橋梁製作所・川崎車輌株式会社・株式会社東京石川島造船所が携わりました。
橋長246メートルの優美な曲線を持つ鋼タイドアーチ橋・勝鬨橋は、橋脚と橋台が鉄筋コンクリート造で、上部構造は中央にシカゴ型固定軸二葉式(にようしき)の跳開部分(各25.8メートル)とその両側の固定径間部分(各86メートル)で構成されています。全体で約4千トンの跳開部分は、左右の可動桁(かどうげた)(各900トン)と釣り合いをとるカウンターウエイト(各1千100トン)からなり、電力で橋脚にある回転軸を開閉させる(70秒で70度まで跳ね上がる)仕組みでした。昭和15年に開催予定であった日本万国博覧会(主会場は晴海・豊洲地区)のメーンゲートに位置付けられ、戦後も昭和45年(試運転)に至るまで開閉が行われていた勝鬨橋は、国内最大の可動支間(しかん)を有する技術的完成度の高い橋梁として重要文化財に指定されています。
中央区教育委員会 学芸員
増山一成

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