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「区のおしらせ ちゅうおう」 令和3年11月21日号

区内の文化財

大野屋總本店(そうほんてん)店舗

国登録有形文化財 建造物 新富二丁目2番1号
大野屋總本店店舗
▲大野屋總本店店舗

大正12年(1923年)の関東大震災で江戸・明治以来の建物が大きな被害を受けるまで、区内には伝統的な木造建築の様式で建てられた町家(まちや)(町屋)が立ち並んでいました。町人の住宅である町家は、構造上の工夫や趣向などが各家によってさまざまであり、商工業を営む空間と居住空間を併せ持つ商家建築なども典型的な町家としてあげられます。特に、商業地として発展してきた本区内には、商売を営む場を兼ねた店舗併用の都市型住宅の町家が数多くありました。
関東大震災後に建てられた復興建築は、防火・延焼防止を意識したモルタル塗りや銅板葺き(ぶき)の看板建築、耐震・耐火構造を重視した鉄筋コンクリート造の建物などが建てられるようになり、区内のまち並みも大きく変化しました。したがって、平入り(ひらいり)(屋根斜面に向かって出入り口のある形式)屋根の軒の出(のきので)(屋根の軒先の長さ)を深くとり、瓦葺き(かわらぶき)で重厚な構造を持つ伝統的な町家建築の数は少なくなっていきました。今回の文化財は、こうした潮流の中で建てられた典型的な町家(店舗兼住宅)の建物を取り上げます。
大正13年(1924年)に建てられた「大野屋總本店店舗」は、新富地区に現存する希少な木造建築物として国の有形文化財(建造物)に登録されています。現在、新富二丁目の角地で足袋(たび)の製造・販売を営む大野屋總本店は、安永(あんえい)年間(1772年から1781年)の創業と伝わっており、嘉永2年(1849年)から現在地に店舗を構えて170年以上にわたる商いを営んできました。現在の木造2階建ての建物は、震災直後に建てられたことが判明しており、切妻造り(きりづまづくり)(棟を境に二方向に葺きおろす形式)の屋根は桟瓦葺き(さんかわらぶき)(断面が波形の瓦を積む形式)、外壁は板の水切れがよい押縁下見板張り(おしぶちしたみいたばり)(下見板〈横張り板の下端が手前に出て見える板〉の継ぎ目や端部を押縁〈細長い部材〉で押さえる)構造を持った店舗併用住宅となっています。
外観は、1階・2階ともに軒高が高く、太い部材が用いられた2階や屋根に載る三河産の瓦、そして銅板の立派な雨樋(あまどい)などにも目が留まります。特に、2階上部には、関東大震災以降の新富地区では珍しい近代の出桁造り(だしげたづくり)(軒先に向かって出した「腕木(うでぎ)」の先端上に水平方向へ架け渡した「桁(けた)」をのせ、その上から屋根・庇(ひさし)を支える「垂木(たるき)」を出す構造)の特徴がよく残されています。
内部は、1階正面を店舗として使用し、その奥に製品置き場を設けています。また、1階後方には鉄骨で補強された増築部分があり、2階のミシン場(足袋の製造場)の重さに耐え得る構造となっています。
大野屋總本店で製造される足袋は、当家5代目が創り出した履き心地の良さと足がきれいに見える「新富形(しんとみがた)」がよく知られています。当店舗では、数多くの歌舞伎役者・能楽師・舞踏家らに愛用されてきた足袋の製造・販売を手掛けてきた歴史も有しています。竣工(しゅんこう)から間もなく100年を迎えようとしている大野屋總本店の建物は、内外部ともに足袋の製造・販売を行うための増築や補強・改造などの手を入れながらも、伝統的な町家建築としての重厚で豪華な雰囲気とともに、老舗足袋屋としての歴史を今に伝えています。

中央区教育委員会 学芸員
増山一成

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