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「区のおしらせ ちゅうおう」 令和2年1月1日号

オリンピック・パラリンピックイヤーの幕開け!!

前回の東京大会から半世紀以上を経て、いよいよ今年の夏、世界最大のスポーツと平和の祭典であるオリンピック・パラリンピック競技大会が再び東京で開催されます【オリンピックは7月24日(祝日)から8月9日(日曜日)、パラリンピックは8月25日(火曜日)から9月6日(日曜日)の開催です】。
大会開催時には選手や関係者など最大で約18,000人を収容する選手村は、7月14日(火曜日)の開村に向けて仕上げの作業が着々と進んでいます。区でも「おもてなしプロジェクト」の一つである「折り鶴」が10万羽以上も集まり、大会時に配布する準備に入っています。
2020年の幕開けに当たって、オリンピアン・パラリンピアンの皆さんに、五輪の舞台でどのような思い出を心に刻んでこられたのか、東京2020大会にどのような期待を寄せていらっしゃるのかなどをお聞きしました。

写真:河合 純一さん

河合 純一さん
元競泳選手。5歳から水泳を始める。生まれた頃から強度の弱視で15歳で全盲となる。バルセロナ(1992年)からロンドン(2012年)まで6大会連続でパラリンピック出場。金メダル5個を含む21個のメダルを獲得。日本人としては初めて、パラリンピックの殿堂入りを果たす。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会副委員長。
写真:大山 加奈さん

大山 加奈さん
元バレーボール女子日本代表選手。小学校の頃からバレーボールを始めて、小・中・高と全国制覇を果たす。高校生で日本代表入りし世界選手権(2002年)、ワールドカップ(2003・2007年)、アテネオリンピック(2004年)出場。2010年に現役を引退。現在は講演活動、バレーボール教室、解説、キャスターなどで活躍。
写真:田口 亜希さん

田口 亜希さん
女子射撃選手。25歳のときに脊髄の病気で車いす生活となる。退院後に始めた射撃でアテネ(2004年)、北京(2008年)、ロンドン(2012年)パラリンピック出場。アテネ7位、北京8位入賞。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員。


オリンピック・パラリンピックの思い出

河合 私は数多くのパラリンピックに参加することができましたが、どの大会でもボランティアの方々と接する場面が多くありました。その際、ボランティアの皆さんがあいさつをしてくれる、笑顔で応対してくれる、何気ないことなのですが、緊張感を強いられる状況ではそういったことにとても癒やされましたね。
 また、競技会場に行くと、たくさんの観客が選手を盛り上げてくれました。ボランティア、観客に支えられた、ということが強く印象に残っています。

大山 私もアテネオリンピックに出場したとき、ボランティアの方々が本当に笑顔で接してくれるのと、そのボランティアの方自身がオリンピックを楽しんでいるというのが感じられて、とても明るい雰囲気だったというのが印象に残っています。
 その反面、中国とロシアの決勝戦を観戦したときはオリンピックのすごさみたいなものを感じました。その試合では、普段は感情をほとんど出さないロシアの選手たちが、感情をむき出しにして戦っていました。その姿を見たときオリンピックというのは特別な場所なのだというのを改めて突きつけられた気がして、試合が終わってもしばらく動くことができませんでした。  
 ただ、ギリシャはバレーボールの人気がなくて、会場はがらがらだったんですね。それはやはり寂しかったですね。ですから、東京大会では、満員の観衆でどの会場も埋まっているといいなと思います。

田口 私も初めて出場したのがアテネパラリンピックでしたが、平成16(2004)年当時、日本ではまだパラリンピック自体の認知度が低かったように思います。しかしアテネの開会式にはスタジアムに大勢の観客が詰め掛け、客席から「ジャパン、ジャパン」と大声援をもらえたことに、すごく感動したことを覚えています。
 あと印象的だったのは、現地の方々とのコミュニケーションですね。競技場や選手村ではボランティアの人たちが声を掛けてくれたり、外出するとまちの人たちも気軽に声を掛けてくれたりして、うれしかったですね。
 それとアテネではパラリンピック開催をきっかけに、車いすでもパルテノン神殿に上がれるようにリフトが付けられました。また北京パラリンピックの時も、万里の長城にエレベーターが付き、そういう障害者に対する配慮、そしてレガシーとして残ることは、すごくうれしかったですね。

スポーツを通じて学んだこと

河合 水泳という競技は、さまざまな障害のある人が参加できることが大きな特徴です。視覚障害の人も車いすの人もいるし、義足や義手の人も知的障害の人もいます。ありとあらゆる障害の人が出場することができる競技なので、他の競技よりは多様性に満ちていると思います。そんな中で、それぞれの良さを生かし合うというか、認め合うというか、そういうマインドは自分の中に育ってきたのかなという気はしますね。

大山 スポーツの価値というとたくさんあると思うのですが、最近特に感じるのがミスとか失敗に対する耐性、免疫が身に付くということです。現役を引退して、指導や普及活動をする中で感じるのが、今の子どもたちは、ミスや失敗することにすごく恐怖心を持っているということです。だから、積極的に前に出ることができない子が多い気がします。でもスポーツって、絶対ミスをする、むしろ、ミスだらけと言ってもいいくらいです。私も自分のミスのせいで負けた試合がたくさんあります。でもそこで、ミスをするからもうやらない、ということではなくて、それを克服するためにはどうすべきか、試行錯誤しながら行動し、前に進み続けたからこそ、私自身選手として成長することができたと思っています。子どもたちにはスポーツを通じて、ミスしても大丈夫、そんな心を養ってほしいと思います。
 そういった意味で、今度のオリンピック・パラリンピックも、勝つことの素晴らしさだけではなくて、たとえミスや失敗をしてしまっても、また起き上がればいいんだということが伝わるような大会になることを望んでいます。

田口 私は就職してから4年後に車いす生活になったんです。仕事にも慣れ、いろいろと任されるようになる時期で、何でも自分でできていると思っていました。でも病気になって、車いす生活になったら、今度は何にもできない自分がいました。そこから射撃を始め、パラリンピックを目指すようになった時に、「もともと人間は1人で生きているんじゃない」ということが分かったんです。もちろん、射撃は個人競技ですので競技中は1人ですけれど、決して1人じゃない。監督、コーチ、家族、会社の仲間、いろいろな人たちの支えがあって、初めてその舞台に立つことができるんです。特に、私のように車いすに乗っている者は大きな荷物を持ったり、高い段差を乗り越えたりできないので、助けてもらうことが多いです。いろいろな人に支えられて生きている−−それがスポーツを通じて学んだことかなと思います。

東京2020大会に向けて

河合 私は、東京2020オリンピック・パラリンピックのアスリート委員会の委員として、田口さんたちと晴海にできる選手村について企画段階でアドバイスをさせていただきました。具体的にはパラリンピアンの視点で、どのような環境を準備すればいいか、意見やアイデアを出したのですが、例えばコンセントの位置をどうするか、カーテンはどっちから引くべきか、ドアノブの向きは、お風呂の大きさは、車いすが入れるか入れないか、エレベーターの数は、点字ブロックをどうするかとか。とても細かい所まで、選手目線でアイデアを出させてもらいました。

田口 そういうことをアスリート委員会で協議していた時に、私が一番うれしかったのが、オリンピアンの方たちがパラリンピアンの要望を理解し、受け入れてくれたことですね。
 パラリンピアンの立場からさまざまな意見を言うと、オリンピアンの方たちが「それだったら、パラリンピアンの希望に沿った形で進めればどうでしょうか。私たちは使えるんだから」と言ってくださったんです。

河合 オリンピアンからすると、大山さんとか身長が高いから、ちょっと不便かなという高さかもしれないけど、かといって「使えない」わけではないですよね。でも、田口さんのように車いすの方だと、全く「使えない」ものがあったりするわけです。そこをすごくオリンピアンの方々が理解してくれました。そういう意味では、オリンピアン・パラリンピアンが一つになって考えた選手村ということで、世界に誇れる素晴らしい選手村になると思います。

大山 そこまで細かい配慮がされているなら、きっと海外の選手の皆さんにも快適に過ごしていただけるでしょうね。

田口 完成したらぜひ見にいきたいですね。それからせっかくの日本開催ですから、より大会を楽しむには、やはり会場に行っていただくのが一番なのですが、会場に行けない人はみんなと一緒に観戦した方が楽しいと思うんですよね。パブリックビューイングなどで大勢の人と盛り上がりながら応援するのがいいのではないでしょうか。

未来に引き継ぐべきレガシー

河合 まず「心のレガシー」になると思うのは、何といっても選手に会うこと、ですよね。選手村が生活圏の近くにあるということは、中央区の皆さんはその可能性がすごく高いと思います。

大山 競技や国によって違いはありますが、バレーボールは競技期間が長いのでアテネのときは開会式から閉会式まで選手村に滞在していました。選手たちは買い物や食事などで選手村の外に出る機会がありますが、やはり選手村付近が中心となりますので、区民の方は、選手と出会う可能性が高いと思います。
 またこれは行政の方へのお願いにもなってしまうのですが、日本の文化を海外の選手と区民の皆さんが一緒に楽しむような、そんな場所があればすごくいいですね。

田口 大会期間中はお祭りの季節ですよね。区内でもあちらこちらで盆踊り大会などがあるでしょうから、そういった場所は選手と地域の皆さんとが触れ合う絶好のチャンスだと思います。選手村にはインフォメーションセンターができると思いますから、そこで区内のイベント情報などを発信してもらえるといいですよね。

河合 大会期間中、晴海トリトンスクエアに選手や大会関係者との交流の拠点ができたり、学校にもオーストラリアやブラジルなどの交流拠点ができるそうですから、そういうところで来場を呼び掛けてもいいですね。
 あるいはボッチャやバスケットボールなど、ストリートでできる競技もありますし、競技を選手たちと一緒に楽しめるような場があってもいい。

大山 昨年のラグビー・ワールドカップでウェールズの選手たちが大津市でラグビー教室をしてくれたという記事を見たんです。大会中に、教室ができる。海外の選手たちと触れ合える。そういった機会って、子どもたちにとって一生の宝物ですよね。

田口 それから、私たちパラリンピアンにとってレガシーにしたいものといえば、バリアフリーとか、住みやすいまちづくり、ですかね。

河合 大会後、選手村は12,000人が住むまちに生まれ変わるようですが、そこには学校もできるんですよね。私は、そこがバリアフリーの拠点になったらいいなと思います。子どもたちにも、オリンピック・パラリンピック教育をするとか、体育施設に障害のある子たちをどんどん受け入れていくとか。インクルーシブな(障害のある子どもたちも共に学べる)学校のモデルとして発信していくことができれば、すごくインパクトがあると思います。
 バリアフリー化が進めば、障害のある人たちやその家族も住む可能性が高くなる。そういった時に、この学校がよいモデルになってほしいと思います。

田口 私の場合、家を探していても、バリアフリーの家というのはなかなかありません。しかも車いすで生活するためには、住む家がバリアフリーだけではなく、駅まで行く道もバリアフリーじゃないとだめで、駅にもエレベーターがないとだめ。やはりまち全体を含めた総合的なバリアフリー化というのが、求められていると思います。

河合 私は、今回の大会が「中央区は日本一住みやすいまちだ」と誰もが胸を張って言えるまちへと発展していくためのきっかけになればいいと思います。そういう思いで行政だけでなく区民の皆さんも一緒になって取り組めるかどうかが一番のポイントだと思います。

大山 私は、子どもたちが健全にスポーツに取り組める場所、障害のあるなしにかかわらずスポーツを楽しめる場所をつくってほしいです。
 あとはやはり、勝利至上主義じゃない、スポーツからたくさんのことを学べる場所をつくってほしいです。でもそのためには、この東京2020オリンピック・パラリンピックが、メダルを取った取らないに焦点が当たるのではなく、選手たちが通ってきた道のりとか、選手たちの成長や挫折を乗り越えた経験に焦点が当たるような、そんな大会になってほしい。そして、そうしたスポーツの価値や意義を学べるような場所をつくっていただけたら…。さらに、私たちのようなオリンピアン・パラリンピアンがその場所で指導をすることができたら最高ですよね。

「晴海おもてなし拠点」(仮称)イメージ
▲「晴海おもてなし拠点」(仮称)イメージ

集合写真

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