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「区のおしらせ ちゅうおう」 令和元年12月21日号

区内の文化財

長谷川春子作挿絵の原画及び素描

区民有形文化財 絵画 明石町12番1号 郷土天文館

長谷川春子作挿絵の原画(「次郎長日向」)
▲長谷川春子作挿絵の原画(「次郎長日向」)

日本橋区通油町(とおりあぶらちょう)(現在の日本橋大伝馬町)に生まれた長谷川時雨(1879から1941)は、明治末から昭和戦前期にかけて劇作家・小説家として活躍するとともに、女性作家(林芙美子(はやしふみこ)や円地文子(えんちふみこ)など)の発掘・育成にも努めた人物として知られています。時雨(本名ヤス)には春子(1895から1967)という16歳ほど年の離れた末妹がおり、作家として活躍していた時雨は、絵心のある妹・春子の資質を見抜いて画業の道へと後押ししました。
後に洋画・挿絵・随筆など数多くの作品を手掛けることになる春子は、25歳の時に時雨の勧めで画家を志し、優美で気品ある美人画や情緒豊かな風俗画を得意とする鏑木清方(かぶらききよかた)(1878から1972)に師事して日本画を学び、華麗で躍動感のあふれる裸婦画や色彩豊かな風景画・静物画を描く梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)(1888から1986)に洋画を学びました。
姉・時雨が主宰する雑誌『女人藝術』で美術部門を担当した春子は、昭和初期に渡仏してエコール・ド・パリの一員である洋画家・藤田嗣治(ふじたつぐはる)(1886から1968)らと交流を持ちながら作家活動を展開しました。帰国後も国画会(国画創作協会の第2部〈洋画〉を母体に独立発足)への継続的な出品を通して画業の研さんを積み、尾崎士郎の新聞小説「空想部落」(昭和11年『朝日新聞』夕刊に連載)の挿絵や自身の随筆・漫筆画『戯画漫文』などを手掛け、戦後も『大ぶろしき』(講談社)、『恐妻塚縁起』(学風書院)、『ニッポンじじい愛すべし』(生活社)といった作品を発表しています。
中央区では、長谷川春子が手掛けた作品のうち、新聞小説などに掲載された挿絵の原画87枚や単色線(鉛筆・ペン・コンテなどの画材)で形象や陰影を粗く描いた素描画210枚を所蔵しています。こうした画稿(印刷のための絵の原稿)の類は、長期保存されることが少ないため希少な資料といえます。原画の中には、小島政二郎(こじままさじろう)(1894から1994)による新聞小説「次郎長日向(じろちょうひなた)」(昭和28年から昭和29年『京都新聞』夕刊に連載)の挿絵や源氏鶏太(げんじけいた)(1912から1985)の長編小説「意気に感ず」(昭和39年『週刊現代』に連載)に掲載された挿絵の素描も確認できます。
なお、実際の挿絵とは異なる構図の素描や作品に関するメモ書きがみられるものもあり、制作過程や春子の思考・人柄、そして作品に対する姿勢が垣間見える貴重な資料となっています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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