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「区のおしらせ ちゅうおう」 令和元年10月21日号

区内の文化財

八丁堀三丁目遺跡内 朗惺寺跡出土木製卒塔婆

区民有形文化財 考古資料 晴海一丁目4番1号 文化財倉庫

写真:墓域に突き刺さる卒塔婆
▲墓域に突き刺さる卒塔婆

この資料は、昭和61年、平成13年に発掘調査された八丁堀三丁目遺跡(1次調査・2次調査)から出土した江戸時代の卒塔婆です。なんと、1,124点が出土しました。これは日本で最多の出土の可能性があります。
卒塔婆は死者の供養のために立てられます。12世紀ころ出現した日本独自のもので、木製のものが多くみられます。卒塔婆には、 仏の教えや徳を詩句のように称えた文章(偈)や、「南無阿弥陀仏」または「南無妙法蓮華経」、法名、供養目的、施主名、造立年月日などが墨書されます。
遺跡のある八丁堀三丁目周辺は、徳川家康が江戸に入った天正18年(1590)直後に海を埋め立ててつくられた土地になり、日本橋茅場町あたりまで40以上の寺院が密集していました。家康が来た直後に遺跡地で朗惺寺が開山しましたが、周辺にあったほとんどの寺院とともに、明暦三年(1657)の大火をきっかけに現在の江東区や港区へと移転しました。
遺跡地にあった朗惺寺は、大田区にある日蓮宗の池上本門寺の配下にありました。明暦の大火後は港区の芝に、明治期に品川区小山に移り、現在に続きます。
なぜこれほど大量の卒塔婆が出土したのかというと、使い終わった卒塔婆が捨てられずに、 池の護岸の土留めに転用されたり、土に刺さったまま上部が折れた状態で出土したものが多いからです。卒塔婆は0.5mから3.5mを越えるものまでありますが、多くは2mほどのものです。これらのうち、つくられた年、死後何年に立てられたかわかるものや施主があるもの、子どものもの(子どものお墓は多いが、卒塔婆が建てられて供養された数は少ない)に加え、一般的な板状のもの以外にも四角柱や六角柱、杭状のものなど、特徴的な形のものを中心に90点を選別して文化財に登録しました。
江戸は当時の日本の中心的な都市でした。なかでも、さらに中心的な位置にあった寺が発掘調査されるのはとても珍しいことです。こうした場所にあった当時の死者の供養やその中世からの変化、そして現代へとつながる「家」の意識を知るうえで、本資料は重要なものです。

中央区総括文化財調査指導員
仲光克顕

写真:大形の卒塔婆
▲大形の卒塔婆

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