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「区のおしらせ ちゅうおう」 令和元年6月21日号

区内の文化財

長谷川時雨(はせがわしぐれ)関連資料

区民有形文化財 歴史資料 明石町12番1号 郷土天文館

長谷川時雨関連資料
▲長谷川時雨関連資料(「懈怠比丘」原稿)

近代を代表する女性作家・長谷川時雨(1879から1941)は、明治12年に日本橋区通油町(とおりあぶらちょう)(現在の日本橋大伝馬町)において、免許代言人(だいげんにん)(明治9年制定の代言人規則による免許を得た弁護士の前身)の父深造(しんぞう)と母多喜(たき)の長女(本名ヤス)として生まれました。江戸のメーンストリート(本町通り(ほんちょうどおり))に程近い時雨の生家は、木綿問屋が軒を連ねる大伝馬町から通旅籠町(とおりはたごちょう)へと続く町の一角にあり、江戸の名残を色濃く残した場所で生まれ育ちました。
母親の教育方針もあり、幼い頃から長唄・舞踊・生花・茶道・裁縫といった稽古事中心の教育を受け、読書は固く禁じられていました。しかし、本人は生来の文学・芸術好きからか、隠れて本を読むほどであったといわれています。20歳前後から文筆活動を始め、26歳になった明治38年(1905)には、読売新聞の懸賞脚本に応募した「海潮音(かいちょうおん)」(特選作品)が坪内逍遥の目に留まり、作家としての第一歩を踏み出しました。その後も「覇王丸(はおうまる)」(後に「花王丸」と改題上演)や「操」(後に「さくら吹雪」と改題上演)などの脚本を次々と執筆・発表し、新富座や歌舞伎座などで一流の役者に上演され、日本初の女性歌舞伎脚本家としてその地位を確立しました。
さらに、古今の女性の伝記を取り上げた『日本美人伝』や『近代美人伝』などの女性評伝を執筆した他、女性のための思想・文学・芸術に関する雑誌『女人藝術(にょにんげいじゅつ)』を発刊して当該雑誌から新進の女性作家(林芙美子(はやしふみこ)・円地文子(えんちふみこ)・矢田津世子(やだつよこ)・大田洋子(おおたようこ)など)を数多く世に送り出しました。なお、時雨が『女人藝術』の中で連載した随筆「旧聞日本橋(きゅうぶんにほんばし)」(後に刊行)には、幼少期の見聞をもとに自身が生まれ育った明治前半の日本橋の佇(たたず)まいや風俗・習慣などが繊細な筆致で書き記されています。
中央区には、脚本・評伝・随筆など多岐にわたる時雨の作品類が多数保管されています。このうち、特に執筆活動の様相がうかがえる資料や時雨ゆかりの関連資料84点(大正から昭和期の書簡10点・原稿5点〈「おとづれ」「懈怠比丘(けたいびく)」「南天・あけび」など〉・雑誌37点〈『シバヰ』『女人藝術』など〉・初版本27点〈『日本美人伝』『近代美人伝』『旧聞日本橋』『桃』『東京開港』など〉・関連資料5点〈時雨愛用の袷(あわせ)着物・赤絵インク壺(つぼ)、袱紗貼(ふくさは)り込み屏風(びょうぶ)など〉)が文化財登録されています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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