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区のおしらせ 中央
平成31年3月21日号

区内の文化財

片岡家文書

区民有形文化財 古記録 明石町12番1号 郷土天文館
片岡家文書
▲片岡家文書

江戸時代には、武家の棟梁たる将軍を頂点に大名・旗本・御家人そして各大名に仕える藩士(諸藩の家臣)なども含め、階級・家格の異なる数多くの武士が存在していました。このうち知行1万石未満の幕臣(幕下に仕える直属の家臣)は、将軍に拝謁できる御目見以上の家格を持つ「旗本」と御目見以下の「御家人」の身分に分けられることはよく知られています。
なお、幕臣の数は時期によって異なりますが、旗本(約5千人〈旗本が率いた陪臣は含めず〉)と御家人(約1万7千人)を合わせて約2万2千人にも上ったようです。
若年寄(配下の目付)の管轄下にあった旗本・御家人は、幕府のさまざまな役職(御家人は大名・旗本の役職の下僚など)に就任して職務を遂行(番士〈諸所の警衛勤番〉で終える者や無役のため小普請に編入される者も存在)しました。旗本といっても禄高は多様で、その多くは各家に定まった番入先(将軍直属の警衛守備などの役職には両番〈書院番・小姓組番〉・大番組・新番組・小十人組の五番方があった)に所属しましたが、中には老中(配下の大目付)支配に属する上格の旗本家(高家や交代寄合)もありました。
今回の文化財は、天保元年(1830)から幕末期にかけて蛎殻銀座に隣接する場所(現在の日本橋人形町一丁目)に拝領屋敷を有していた旗本・片岡家に伝来する古記録(2点)です。片岡家では代々、旗本の軍事職制の一つである書院番(江戸城内の警備・将軍外出時の随行・交代での駿府在番など)や小姓組番(将軍の馬廻り護衛・江戸城諸門の警備・江戸市中の巡回など)にあたっており、格式の高い両番筋の家格でした。
なお、現存する片岡家の資料には、片岡家三代目が江戸城西の丸書院番として勤番していた時期に出された廻状(順次回覧して伝達する文書)類の写しと小姓組番を務めた同家五代目(推定)が記した「諸心書」(小姓組番士の職務・心得・職務上の記録等を書き留めたもの)があります。
特に前者の古記録は、奥書によると約10年(元文4年〈1739〉から寛延元年〈1748〉)にわたる諸廻状の用件のみならず、廻状に記された内容から漏れた事項を書き留める目的で作成されたものです。
これらの古記録は、両番筋の旗本が記した職務に関わる重要な記録であるとともに、希少性の高い文化財です。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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