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区のおしらせ 中央
平成30年12月21日号

区内の文化財

越後屋文書

区民有形文化財 歴史資料 銀座二丁目6番5号

越後屋文書(安政6年〈1859〉「大宝恵」)
▲越後屋文書(安政6年〈1859〉「大宝恵」)

日本有数の繁華街である銀座地区には、世界各国から観光客が訪れるショッピングタウンが形成されています。江戸時代の町並みはといえば、目抜き通りの旧東海道筋に商家が立ち並んでいましたが、裏通りの長屋には職人たちが多く集住する町屋が続いていました。ところが、明治5年(1872)2月に当該地区を壊滅させる大火災が発生し、政府による洋風煉瓦街の建設によって町(街)並みや住民もかわり、新商売を目指す商店(輸入品を商う西洋風の商店街)が進出しました。その後も明治から大正・昭和に至る中で町が一変するような事象(日清・日露戦争、関東大震災、金融恐慌、太平洋戦争など)を経ていますが、今日に見るような繁華街としての銀座のルーツは明治初期の煉瓦街誕生にありました。
銀座地区は明治に入って急速な変容・発展を遂げたとはいえ、江戸時代以来この地で商いを続けている老舗呉服店「銀座越後屋(株式会社越後屋)」も存在しています。伝聞によると、越後国高田(現在の新潟県上越市)出身の初代が江戸の南伝馬町(現在の京橋地区)で商いを始め、二代目の時に新両替町二丁目(現在の銀座二丁目)へ移転したといいます。なお、同店には幕末から昭和30年代にかけての古記録・広告類が複数現存(64点)しており、貴重な文書類の継承・保存が図られています。
これらの文書類は、帳簿類(幕末・明治期の「大宝恵」、昭和期の「金銭判取帳」など)、店の規則(明治期の「越後屋商店店則」)、番頭個人の回顧録(明治中期から昭和期を回想して綴った「思い出かれこれ」「思ひ出」)、店舗および住居間取り図面(関東大震災〈大正12年〉当時とその後の図面類)、本支店および店員写真(大正期から昭和期)、発売商品のチラシおよび案内状(大正期から昭和期)、広告類の貼込帳(昭和期)などに分類されます。中でも、店の一切を取り仕切る番頭ならではの視点で綴った回顧録は、越後屋の商売に関わる事項・事象のみならず、当時の社会情勢や状況(日露戦争の戦勝凱旋・関東大震災・御大典の奉祝行事など)までもが詳細に読み取れる貴重な記録となっています。
越後屋文書は銀座の商家の営みを記録した希少な資料であるとともに、日本の近代史の一端を知る上でも重要な歴史資料といえます。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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