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区のおしらせ 中央
平成30年10月21日号

区内の文化財

震災復興橋梁図面

区民有形文化財 歴史資料 明石町12番1号 郷土天文館

震災復興橋梁図面(稲荷橋)
▲震災復興橋梁図面(稲荷橋)

大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災から今年で95年を迎えています。首都直下地震であった関東大震災は、南関東から東海地域に至る1府6県(東京・神奈川・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨城)の広範囲に及び、人的・物的被害は甚大なものとなりました。特に、都市機能が大打撃を受けた東京市内では、建物の全潰・全焼・流出のみならず、都市生活の維持に必要不可欠なインフラ施設(道路・橋・鉄道・上下水道など)が損傷し、ライフライン(電気・水道・通信・輸送など)の寸断が生じました。地震発生後、復興事業を担う内閣総理大臣直属の政府機関「帝都復興院」が設立(9月27日)され、元東京市長の経歴を持つ内務大臣・後藤新平(1857から1929)が総裁に就任しました。後藤主導で打ち立てた壮大な帝都復興計画は、最終的に予算・規模が縮小され、大正13年(1924)開設の内務省外局「復興局」(帝都復興院は廃止)の下で復興事業が進められていきました。
昭和5年(1930)までの6年にわたる帝都復興事業では、復興局主体で進められた事業(区画整理、幹線道路・橋梁整備、埋設水道管・ガス管・電線・電話線整備、河川・運河整備、公園整備、防火対策助成など)の他、東京府・東京市主体の事業(補助線街路・橋梁整備、上下水道整備、小公園・教育施設・衛生施設整備など)も含め、復旧・復興に向けたさまざまな事業が実施されました。
今回の文化財は、関東大震災後の帝都復興事業で架橋された復興橋梁の図面16橋分です。昭和初期までに架橋(改架含む)された震災復興橋梁425橋のうち、区内(旧日本橋区・旧京橋区)には103橋が架橋されました。いずれも耐震性・耐火性の高い実用構造物であるとともに、自然景観と調和する固有のデザインに特徴がありました。文化財の橋梁図面は、現存する7橋(豊海橋・久安橋・弾正橋・南高橋・三吉橋・亀井橋・千代橋)、架け替え以前の2橋(亀島橋・新亀島橋)、河川の埋め立てで廃橋となった7橋(稲荷橋・中洲橋・備前橋・暁橋・堺橋・八通八橋・佃橋)に関する平面図や各種構造図(197葉)です。手書きの各原図には、設計に携わった復興局・東京市の技術者名も記されており、貴重な土木資料となっています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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