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区のおしらせ 中央
平成30年9月21日号

区内の文化財

豊後岡藩中川家上屋敷跡(明石町遺跡)出土文書 附 12号遺構穴蔵部材

区民有形文化財 考古資料・古文書 区有施設(文化財倉庫)

豊後岡藩中川家上屋敷跡(明石町遺跡)出土文書
▲豊後岡藩中川家上屋敷跡(明石町遺跡)出土文書

遺跡の発掘調査で出土する遺物には、人工遺物から自然遺物に至るまで先人たちの営みや自然との関わり合いの歴史を示す多くのモノ(物質)があります。こうした出土遺物は、多角的な分析調査を進めることによって新たな歴史の解明にもつながっていきます。
地中に埋蔵されている環境や素材の性質などによっては、埋蔵中の分解劣化が著しい有機質遺物(木・漆・繊維・紙・皮・毛・穀物など)であっても、腐敗することなく発見されることがあります。また、墨書土器のような無機質遺物(土器・石器・金属製品など)に記された文字(絵画表現含む)のみならず、木簡や植物繊維から作られた紙(漆紙文書〈多賀城跡:宮城県多賀城市、鹿の子C遺跡:茨城県石岡市など〉や炭化文書〈明石町遺跡など〉)とそこに記された文字の判読が可能な有機質遺物の発見に至る場合もあります。
今回の文化財は、中央区明石町1番6号の明石町(第一次)遺跡から大量に発見された出土文字資料(炭化文書)です。明石町遺跡の場所は、明暦の大火(明暦3年〈1657〉)以降に埋め立てが進んだ鉄砲洲の一画に当たり、当初から幕末に至るまで大名屋敷などの武家地として利用されていた土地でした。当該遺跡から出土した文書は、標高1.8mほど掘削した生活面(第1・2面)の12号遺構から発見された炭化した有機質遺物で、被熱痕のある1坪ほどの穴蔵(地下に作られた防火倉庫)内部の底面に遺存していました。
発掘後の整理調査および遺物類の一部保存処理を進めた結果、これらは天保元年(1830)から鉄砲洲に屋敷を構えていた豊後国岡藩(現在の大分県竹田市)中川家の上屋敷内に作られた穴蔵(江戸時代中期から後期)遺構であり、穴蔵内の文書は同藩の「御留守日記」(江戸藩邸に常駐した留守居役の公務日記)や屋敷で用いていた「伊勢暦」(弘化5年から文久2年の折暦を巻物状に貼り合わせたもの)であることが判明しました。また、火災と考えられる穴蔵の被熱痕や炭化した文書は、慶応2年(1866)11月9日の江戸大火で同家上屋敷が類焼した時の痕跡であり、火災の影響で蒸し焼き状態となった穴蔵内の文書類が熱分解によって炭化したことを示唆しています。この文化財は極めて希少な出土紙資料であるとともに、一次史料としても貴重な古文書です。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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