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区のおしらせ 中央
平成30年8月21日号

区内の文化財

原胤昭関係文書

区民有形文化財 古文書 明石町12番1号 郷土天文館
原胤昭関係文書
▲原胤昭関係文書

明治・大正期の社会事業家として知られる原胤昭(1853から1942)は、嘉永6年(1853)に南町奉行所与力・佐久間長興の三男として生まれました。幕末期には、養子先である母方の原家(南町奉行所与力)の家督を継ぎ、同奉行所与力として石川島人足寄場の見廻りの任に当たっています。
明治維新後は、市政裁判所(東京府の前身)・東京府員として勤務するも役員減少のために免職となり、明治7年(1874)の受洗後に銀座三丁目へ日本初のキリスト教書出版社・十字屋を創業(後に経営を譲渡)しました。その後は、日本独立長老教会銀座教会(後の日本基督教団巣鴨教会)や女学校(「成樹学校」を改称して「原女学校」、現在の「女子学院」の前身校の一つ)の創立、キリスト教教誨師(反政府活動家として収監〈禁錮3カ月〉された石川島監獄署での体験が契機)として出獄人の保護事業に携わるなど、生涯を通して多岐にわたる活動を行った人物です。
区民文化財である原胤昭関係文書(総点数283点)は、原家をはじめとする町奉行所関係者の家に伝存していた旧幕府時代の記録類を筆写した史料(234点)、原胤昭が使用した罫紙や用箋(「天福堂〈胤昭の号〉用箋」「神田 原 用箋」の印刷あり)に記した書き付け・原稿類(49点)からなる文書群です。特に、筆写史料については、明治22年(1889)に結成された旧町奉行所関係者(与力・同心)の親睦団体「南北会」(大正期に原胤昭が幹事)で収集した記録の筆写が含まれています。明治期の筆写と想定される料紙(竪折紙〈縦半分に折る形態〉が多数)には、おおむね江戸時代後期(正徳2年や延享4年の内容も一部あり)における江戸町方の行政・治安・司法などに関わる内容が読み取れます。
各料紙には墨書による文字情報の他に、朱書(内容表題を表す文言や日付など)や挿画(情報を補う絵)も添えられており、内容の詳細や典拠(町奉行所の諸帳面)がわかります。朱書だけをみても災害関係(「火事」「地震」「落雷」)、朝廷や幕府関係(「禁中」「御成」「大奥」)、江戸市中での事象(「異説」「珍事)」「落首」)や異変(「天狗」「奇怪」「妖怪髪きり」「狸の蕎麦喰い」)、治安や司法関係(「喧嘩」「咎」「町人佩刀」)など多岐にわたります。原本不明の記録が多数含まれた当該文書は、江戸の実情を知る希少性の高い文化財です。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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