資料室
体験記-戦時下の生活体験-
目次へ戻る
戦時下の生活体験
戦中派と言われる私の体験

根本 幸子(ねもと ゆきこ)

 その青春の最後に1番哀しい事が起きてしまいました。昭和20年3月の卒業を控え、あの3月9日夜の東京の大空襲。
 B29の鈍い爆音と、けたたましく鳴る空襲警報のサイレンの音に、着のみ着のままで寝ていた私は「はっ」と目覚め、表通りの防空壕に飛び込んではみたものの、外の喧噪に、もうどうなってもかまわないと変に肝が座って飛び出しました。その時すでにサーチライトが飛び交い、高射砲の音と、B29より落下する焼夷弾が、まるで電気花火のようにバラバラと遠くの空より落ちていくのが見え、高射砲の弾に当たって空中分解して火の玉となって落ちていくB29の米機をわれを忘れて見ておりました。
 ふと、隣近所の人々の叫びに指さす方向を見た私は、真昼のように真っ赤な火の手をあげて燃える深川方面全域を、唖然として眺めていました。
 「危ないぞー、火を消さなければ」の声にあたりを見ると、あの長い「相生橋」を越えて火の粉が屋根に落ちて来るではありませんか。用意されていた荒縄で作った火ばたきを、1晩中バケツの水に浸しては消しました。やがて白々と夜が明けて来た時、17歳の乙女だった私は夜さえ明ければ何とかなるように思いました。その夜を最後に下町一帯、一面の焼け野原となったのを知ったのは数日後、学校が心配で自宅から相生橋を渡り門前仲町−永代橋−茅場町−日本橋−呉服橋−大手町−小川町−神保町−九段−三番町まで歩いてやっ、と学校へたどり着いた時、見るも無残に鉄筋の校舎が焼けただれた姿を目にし、思わず涙でくしゃくしゃになりました。

- 2 -

前のページへ 次のページへ

▲ページの先頭へ

お知らせ プライバシーポリシー 利用案内 リンク集
Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.