魚河岸水神社加茂能人形山車(うおがしすいじんしゃかものうにんぎょうだし)

掲載日:2023年7月19日

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魚河岸水神社加茂能人形山車の写真
魚河岸水神社加茂能人形山車

種別

区民有形民俗文化財

所在地

日本橋1丁目19番1号他

員数

1基

年代

昭和30年

登録年月日

平成2年4月1日

登録基準

〔1〕リ、年中行事に用いられるもの(正月用具、節句用具)

広報紙コラム「区内の文化財」より(平成23年8月21日号掲載)

今号で紹介する文化財は、築地市場(東京都中央卸売市場築地市場)内にある「魚河岸水神社(遥拝所)」の水神祭で曳き出される「加茂能人形山車」です。
魚河岸水神社は、日本橋魚市場の祭神として、神田神社境内に祭られてきた神社ですが、大正12年(1923)の関東大震災後に魚市場が築地へと移転した際、神田への参拝などが不便となるため、築地市場内の北側に石垣を築いて遥拝所が建立されました。
加茂能人形山車は、天下祭(山王祭:山王権現祭礼・神田祭:神田明神祭礼の両祭礼)で知られる江戸時代の山王祭で、番組行列の十番目に曳き出された山車でした。『東都歳時記』には、日本橋魚市場一帯の「室町三丁分・本船町・安針町・本町三丁目裏河岸」の山車として記されており、祭礼時には魚河岸のシンボル的存在でした。
江戸時代が終わり、明治・大正期になると、この山車は魚河岸水神社の水神祭で曳き出されるようになりました。しかし、関東大震災で被災し、江戸以来の山車は焼失してしまいました。
幸いにして、明治期に人形師が制作した山車の精巧な模型(10分の1)が現存していたため、昭和30年(1955)、魚河岸会が築地市場開設20周年を記念して、この模型を基に7メートルを超える加茂能人形山車を復元しました。
この山車の最大の特徴は、牛が曳く二輪車の上が三層構造(最上部は人形・中層は人形の台座と水引幕に囲まれた枠・下層は前面に囃子台と背面に見送り幕)である点です。最上部の人形は、中層の水引幕の枠内を上下可能で、さらに人形と中層は下層の見送り幕内に収納できる構造になっています。つまり、見送り幕から水引幕部分がせり出し、さらに人形がせり出すという二段上下可変式の仕組みがあり、いわゆる典型的な"江戸型山車"の特徴がみられます。
こうした仕組みは、江戸時代の天下祭で江戸城の城門(約4.4メートル)を通過する際に必要な構造であったようで、復元された山車にもその特徴が継承されています。
江戸型山車を忠実に復元した加茂能人形山車は、江戸の祭礼文化の特色を示す貴重な民俗文化財といえます。
中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

お問い合わせ先

教育委員会事務局図書文化財課郷土資料館

〒104-0041 新富一丁目13番14号

電話:03-3551-2167

ファクス:03-3551-2712

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