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区のおしらせ 中央
平成30年2月21日号

区内の文化財

八丁堀三丁目(第二次)遺跡内 朗惺寺跡出土 こけら経

区民有形文化財 考古資料 区有施設(文化財倉庫)

朗惺寺跡出土 こけら経(一部)
▲朗惺寺跡出土 こけら経(一部)

小説や映画などで取り上げられる八丁堀は、しばしば町奉行に属する南北両組の与力・同心たちや居住する組屋敷、さらにはこの拝領屋敷の一部を借りて住む医者・儒者・手習い師匠などが登場します。実際に、現在の八丁堀から日本橋茅場町エリアは、江戸時代に与力・同心の組屋敷が集中し、次第に町屋敷としても利用されるようになった場所です。
なお、徳川家康の江戸入府(天正18年〈1590〉)後程なく埋め立て造成された八丁堀一帯は、明暦3年(1657)の大火前までは多数の寺院が密集する寺町でした。したがって、当該地は江戸時代初期の大火を契機に、寺町から武家地、そして町人地として発展してきた歴史があります。
平成13年(2001)に発掘調査が実施された八丁堀三丁目(第二次)遺跡からは、近世初頭の木製の供養経文(こけら経)が大量に出土しています。遺跡地は、八丁堀で創建した興栄山朗惺寺(初期の寺号は「朗清寺」とも、日蓮宗大本山・長栄山大国院本門寺の旧末寺)の寺域に当たる場所で、埋葬施設などの遺構や遺物類が多数確認されました。
このうち、朗惺寺寺域内の池(344号遺構)から出土した「こけら経」は、妙法蓮華経(法華経)の経文を1行ずつこけら板(柾目の木材を薄く割り剥いだ板材)に写経(墨書)したもので、概ね20本ごとに束ねられた経木が約200把(約4000枚)確認されました。1本の形状は、長さ約46cm・幅4cm・厚さ1mm未満の非常に薄く細長い経木で、板頭部の左右側面が圭頭(山形)状に成形されています。出土した際には、こけら経の各束(20本1束)を重ねて巻いていくように整えられており、全体が円筒状の束となるように箍輪などで固定していたと推定されています。
なお、こけら経の一部には「為日清十三年忌造建之処也」の墨書が読み取れることから、当寺院開山・日清(日惺)上人の追善供養に際して写経したものと考えられています。また、手本とする法華経の順番を示す「二ノ四」「六ノ一」などの番号(符丁)とみられる墨書も記されており、木地への経典書写と塔婆造塔の功徳を兼ねた信仰の一形態を示す貴重な考古資料となっています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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