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区のおしらせ 中央
平成29年11月21日号

区内の文化財

東京証券取引所所蔵文書

区民有形文化財 古文書日本橋兜町2番1号

写真:東京証券取引所所蔵文書
▲東京証券取引所所蔵文書

先月24日の東京株式市場では、日経平均株価が16営業日連続の上昇を記録し、昭和25年(1950)9月7日の公表(昭和55年まで東京証券取引所が「東証修正平均株価」として算出〈指数値は昭和24年5月16日の東証取引再開日まで遡及計算〉・公表し、以後は日経グループに引き継がれる)以来、過去最長となる連騰記録が報じられました。テレビの経済ニュースなどでは、日本橋兜町の東京証券取引所内「東証Arrows」マーケット・センター(直径約17mのガラスシリンダーで覆われた情報提供スペース)と円形の電光掲示板(円周約50mの「チッカー」)に絶え間なく流れる株価表示(取引銘柄・株価・変動値)の様子を目にした方も多いことでしょう。かつて株券売買立会場(売買システムのコンピューター化に伴い閉鎖)であったこの場所は、平成11年(1999)4月まで数千人にも及ぶ証券会社の取引担当者がひしめき合い、場電(売買注文を出す証券会社からの直通電話)や手振り(手サイン)などを駆使して連絡を取り合いながら株取引を行っていたところです。
東京証券取引所が立地する日本橋兜町は、日本の代表的証券街(証券取引所のある大阪市「北浜」やかつての名古屋市「伊勢町」など)であるとともに、ニューヨークのウォール街やロンドンのシティーなどと並ぶ世界屈指の金融市場としてその名が挙げられます。江戸時代は武家地であった当該地が、金融・証券街へと変容・発展を遂げていくのは明治・大正期以降のことです。日本で最初の株式取引機関は、明治11年(1878)5月制定の株式取引所条例に基づいて兜町に開業した東京株式取引所(昭和18年に「日本証券取引所」へ改組〈昭和22年閉鎖〉後、昭和24年に会員組織〈平成13年から株式会社へ改組〉の「東京証券取引所」設立)でした。現在の東京証券取引所には、明治初期に設立された東株時代以来の貴重な文書群が保存されています。
このうちの文化財は、明治初期の東京株式取引所創立に関する史料、明治後期から大正期の株式取引所に関わる営業報告や仲買人・取引員に関する記録類、明治期に売買されていた公債・株券など40件に上ります。中でも、明治7年(1874)10月に布告された日本初の「株式取引条例」(フランスの法学者ボアソナードの助言を受けてロンドン証券取引所に範をとって作成)は、全文37条94項目の条文(実際には日本経済の事情と合わず、条例に基づく株式取引所の開設は実現せず)が印刷された貴重な史料です。また、明治11年(1878)5月4日の新条例・株式取引所条例の布告と同9日の株式取引所設立(東京・大阪1カ所に限定)の大蔵省布達を受けて作成した「東京株式取引所創立証書」「東京株式取引所定款」「東京株式取引所申合規則」(いずれも同年5月22日に大蔵卿・大隈重信から認可)も保存されています。創立証書の冒頭には「明治十一年五月四日大日本政府ニ於テ制定セラレタル株式取引所條例ニ基キ株式取引所ヲ創立シ其商業ヲ経営シ株主一同ノ利益ヲ謀ル為メ此証書第五條ニ連署シタル者協力結社シテ左ノ創立証書ヲ取極メ候也」とあり、第五条に資本金20万円・総計2千株(1株100円)とする東京株式取引所の株主情報(所有株数・属籍・住所・姓名)が確認できます。なお、第七条には東京株式取引所創設に関わった発起人(深川亮蔵・渋沢栄一・今村清之助・三井養之助・三井武之助・益田孝・三野村利助・小室信夫・木村正幹・小松彰・福地源一郎・渋沢喜作など)を含む株主95人の自記調印(一部代理)もあります。この他、東株創業時の立会風景・風俗慣行を描いた巻子装の絵画「東亰株式取引所沿革図解巻軸」(昭和9年〈1934〉・清水柳太画)なども伝来しており、日本の証券市場の歴史に関わる貴重な文化財となっています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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