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区のおしらせ 中央
平成29年5月21日号

区内の文化財

岸田吟香謹製鐵飴煎の看板

区民有形文化財 歴史資料明石町12番1号 郷土天文館

岸田吟香謹製鐵飴煎の看板
▲岸田吟香謹製鐵飴煎の看板

眼病予防や治療に用いられる液体目薬は、日常生活における目の疲れ・かゆみ・乾きなどを抑える身近な常備薬としても重宝されています。売薬の目薬は、今でこそ眼に滴下する点眼薬が主流ですが、点眼用の瓶・器具類のなかった江戸時代には薬効成分を含む軟膏(まぶたに塗布)や洗眼薬(目を洗う、点眼の工夫もあり)などを用いていました。
幕末・明治期になると、これまでの眼病治療に一石を投じる点眼薬「精水」(主成分は炎症を抑える硫酸亜鉛)が売り出され、日本での液体目薬が広く普及しました。この液体目薬を販売したのは、新聞記者・実業家として知られる岸田吟香(本名は銀次)(1833から1905)です。なお、この目薬は洋学者・箕作秋坪の紹介で横浜居留地のアメリカ人宣教医・ヘボンを訪ねた吟香が、ヘボン編纂による和英・英和辞典『和英語林集成』の発行に助力(校訂や上海での組版・印刷等に従事)した謝礼として直接処方を伝授されたものでした。
その後、東京初の日刊新聞『東京日日新聞』の主筆・記者となった吟香は、明治8年(1875)に発行所(日報社)から程近い銀座二丁目へ薬舗・書籍販売店「楽善堂」を構えました。この薬舗では、ヘボン直伝の精水とともに数多くの薬品(補養丸・鎮溜飲・穏通丸・鐵飴煎・潤肺露など)が製造販売されました。
黒漆塗りの木製掛看板である今回の文化財は、明治期に銀座の楽善堂から発売(清国の楽善堂支店でも販売)された強壮薬「鐵飴煎」の広告看板(縦136cm・横17.7cm・厚み2.3cm)です。板面上部には金泥で「滋養補血」と銘打ち、薬品名「鐵飴煎」の下には薬の信憑性・薬効性の高さをうたった宣伝文「醫科大學教頭大博士ベルツ先生ノ経験セラレシ妙薬ニシテ肺病労咳其他一切ノ虚弱症ニ最モ効アリ」と「本舗 東亰銀座 岸田吟香謹製」「國華(方形朱印)」の刻銘が施されています。特に、平易流暢な薬効文を記して宣伝効果を持たせた特徴的な当看板は、ジャーナリストとして名をはせた吟香ならではの巧みな広告手法がうかがえる資料といえるでしょう。
現在、吟香の出身地である岡山県久米郡美咲町(旧・美作国久米北条郡垪和村)には、数々の先駆的な事業を展開した郷土の偉人をたたえ、岸田吟香記念館が開設されています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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