中央区ホームページ
広報紙「区のおしらせ 中央」へ戻る この号の目次へ戻る

本文ここから
区のおしらせ 中央
平成28年11月21日号

区内の文化財

紺糸威丸胴具足 附 具足櫃

区民有形文化財 工芸品 佃一丁目11番8号 石川島資料館

写真:紺糸威丸胴具足
▲紺糸威丸胴具足

中央区佃地区には、江戸情緒漂う伝統的な町家建築が残る場所(佃一丁目の一部)がある一方で、月島地域の最北部に位置するエリア(佃一・二丁目の石川島播磨重工業佃工場跡地)には高層住宅群が林立する大川端リバーシティ21があります。佃小橋から眺められる新旧相まった景観は、訪れる人々が足を止める観光スポットの一つにもなっているようです。
佃堀を挟んで南北の町並みに対照的な様相がみられる佃地区は、歴史をたどると、幕府船手頭であった旗本の石川氏が拝領した隅田川河口の島(「石川島」)と正保元年(1644)に漁師(猟師)町として築島された「佃島」(摂津国西成郡佃村の漁師たちが拝領して埋立造成)の2つの島が原形となって発展してきました。
特に、石川氏の拝領屋敷があった石川島は、寛政2年(1790)に隣接地を埋立造成して人足寄場(無宿の授産・更生施設)が設置され、2年後には石川氏の屋敷替えに伴って寄場の拡大が図られました。さらに幕末になると嘉永6年(1853)のペリー浦賀来航を契機に水戸藩の洋式造船所が創設されます。その後、明治新政府のもとで官営となった石川島造船所は、明治9年(1876)に民営造船事業へと転換し、事業拡大や合併を進めながら昭和54年(1979)の佃工場閉鎖まで日本の産業分野の一翼を担ってきました。現在は、工場跡地に立つリバーシティ21内に石川島資料館が開設されており、幕末の洋式造船所に始まる石川島播磨重工業(現在の株式会社IHI)の沿革などが紹介されています。
さて、今回の文化財は同資料館の一角に展示されている紺糸威丸胴具足です。伝承によれば、隅田川河口の地を拝領した石川八左衛門政次(正次)の父・重次所用の具足として同家に伝来したもので、馬皮黒漆塗の桐製具足櫃(具足や小道具を収める収納箱)にかけられた覆いには石川家の家紋「丸に葦の葉(石川葦)」が施されています。特にこの具足は、主要部である兜・胴・袖の三物(3つで1組とする鎧の称)とともに、面具(顔を守る)・籠手(腕を守る)・佩楯(腿を守る)・臑当(足を守る)などの小具足類を備えた、いわば“不足なく具わった甲冑”となっています。
日本では戦国時代の鉄砲伝来以降、それまでの腹巻・胴丸・腹当といった古式の甲冑(「昔具足」)を改良し、新兵器の鉄砲や歩兵集団戦の鑓先などから身体を防御する小具足完備の「当世具足」(新様式〈今はやり、当世風〉の具足の意味)が普及しました。石川家伝来の具足は、兜・胴・具足櫃(16世紀後半から17世紀前半の作と推定)の一部を除き、修復などによる後補が多いものの、防御性と機動性を兼ね備えた当世具足の特徴が良く表れたものです。
頭の形に合わせて作られた鉄朱漆塗日根野頭形の兜鉢は、眉庇中央に木製黒漆塗天狗面の前立(兜正面の飾り物)を付け、頸部を鉄朱漆塗日根野形紺糸毛引威5段の錏が覆っています。鼻から下を覆う面頬は、口を開いて威嚇的な表情をみせる鉄朱漆塗烈勢頬で、この下に鉄板物朱漆塗紺糸毛引威4段の喉輪が取り付けられています。また、練革の本小札(細長い小札を並べ重ねたもの)で仕立てられた朱漆塗本小札紺糸毛引威丸胴(前立挙〈胸部〉3段・後立挙〈背部〉4段・長側〈腹部〉6段)は、銅覆輪(周縁の金属補強と装飾を兼ねる部分)に唐草文が施されており、胴下に垂れて大腿部を覆う草摺(6間〈分割間数〉5段〈板の枚数〉下がり)とともに実に精巧な作りとなっています。
石川島の歴史を物語る希少なこの具足は、当世具足としての機能性と威厳に満ちた美しさを今もなお伝えています。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

本文ここまで

以下 奥付けです。

Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.