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区のおしらせ 中央
平成28年10月21日号

区内の文化財

寛正三年板碑

区指定有形文化財(歴史資料)明石町12番1号 郷土天文館

寛正三年板碑
▲寛正三年板碑

超高層の自立式鉄塔である東京スカイツリー(634m)や東京タワー(333m)は、電波塔としての機能とともに、東京のランドマーク・観光名所としても知られています。地上から聳え立つ「塔」には、情報伝達(電波・時刻など)を目的とする建物もありますが、古くから宗教的意図・役割を持った構築物(仏塔)として建立されてきた歴史があります。
元来は、釈迦の遺骨(仏舎利)の奉安・尊崇を目的とする建造物(古代インドで仏舎利を祀った「ストゥーパ」〈サンスクリット語〉)であり、シルクロードを経て中国への仏教伝播に伴い「卒塔婆」(塔婆・塔は省略形)と漢字音写され、建築形式も楼閣多層塔へと変化しました。そして日本では、中国・朝鮮半島から伝来した多層塔の影響を受けて、仏教寺院に多くの木造塔(三重塔・五重塔など)が建立されていきました。一方、石造塔は木造塔にはない多様な形態の仏塔(多層塔・宝塔・多宝塔・五輪塔・宝篋印塔・無縫塔など)が数多く造立され、供養や墓標の性格を有する石造塔婆として全国各地に現存しています。
今回の板碑も供養のために造立された石造塔婆の一種で、末法思想(平安時代末から仏法が衰勢する末法の世へ入るとした思想)の影響を受けて、平安時代後期から鎌倉時代に広まった浄土信仰(阿弥陀如来に極楽浄土への往生を願う信仰)から生まれたものです。
寛正3年(1462)の銘があるこの板碑は、埼玉県(長瀞町・小川町)で産出された緑泥片岩(この材を用いた板碑を「武蔵型板碑」と呼ぶ)を薄く板状に成形した小形の供養塔婆(全高58cm・最大幅15・5cm・最大厚2・7cm)です。山形に加工された頭部の下に二条の線刻を入れ、塔身上部には蓮華座上に梵字種子で表した本尊「阿弥陀如来(キリーク)」を刻み、中央には「正金禅門」の法名とこの左右に造立紀年銘にあたる「寛正三年」「十二月十五日」の陰刻が読み取れます。
当板碑は、日本橋本石町二丁目の日本銀行新館建設工事中に発見された区内の希少な出土板碑(地下約6m地点から複数の破片とともに出土した埋没板碑)であり、造立後に原位置で埋没(移動後埋没もあり)した可能性もあることから、歴史を考察する上でも極めて重要な遺物といえます。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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