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区のおしらせ 中央
平成28年9月21日号

区内の文化財

日本橋の橋柱装飾品青銅製麒麟像鰭及び附属品

区民有形文化財 工芸品 明石町12番1号 郷土天文館

青銅製麒麟像の右鰭
▲青銅製麒麟像の右鰭

日本橋川に架かる石造2連アーチ橋の日本橋は、日本橋室町一丁目と日本橋一丁目を結ぶ道路橋です。慶長8年(1603)の創架とされる木造の日本橋が今日の石造橋となるまでには、記録に残るものだけでも20回近くの改架工事が行われています。
現在の日本橋は、明治6年(1873)架橋の西洋式木造トラス橋から明治44年(1911)4月3日に改架した橋で、平成11年(1999)に重要文化財指定(北西橋詰の「東京市道路元標」〈元は橋面中央に位置し、都電架線の支持柱を兼ねていた〉は附指定)を受けました。
橋長約49m・幅員約27m・アーチ径間約21mの規模を持つ日本橋は、明治初年の木造トラス橋から新時代の交通手段に対応した歩車道分離型の道路橋となりました。橋の構造は、日本橋川中央に築いた橋脚から南北両岸の橋台に向けて2連の石造(欠円)アーチを架け、橋体と翼壁表面には花崗岩(橋の部位によって産地〈稲田産・加波山産・北木島産・徳山産など〉の使い分けがある)の切石を積み、翼壁上には湾曲した袖壁を巡らせています。
東西両側の高欄上には、青銅製の華麗な装飾照明(花形ランプ)灯が複数設置されており、橋の中央にある大装飾柱の柱座左右には背鰭を備えた麒麟像、橋台四隅にある装飾台の柱座には東京市章(昭和18年から東京都紋章として継承)を盾のように持つ獅子像が配置されているなど、芸術性の高い装飾が随所にみられるのも特徴です。
日本橋の橋梁設計および工事監督には、東京市橋梁課長・樺島正義の指導の下で東京市技師・米元晋一が主任技師として当たりました。装飾設計は、橋本体の様式選定や石割決定にも関与した大蔵省臨時建築部長・妻木頼黄の考案に基づき、和漢洋折衷の青銅製装飾が採用されています。妻木が目指した装飾デザインは、「橋体との調和渾成」「帝都橋梁の重鎮としての美観と威厳」「全国里程の元標としての寓意」「日本趣味による典雅安定の趣致」といった諸要件を具備するものでした。
なお、装飾用材に青銅を用いた日本橋の装飾品は、明治43年(1910)5月に東京市から委嘱を受けた東京美術学校(制作主任は同校助教授・津田信夫)が制作に携わりました。東京市の繁栄を祝福する麒麟像と東京市の守護・威厳を表す獅子像の塑造原型は渡邊長男が、松や榎の葉を配した装飾柱の原型は熊木三次郎がそれぞれ制作し、その後の鋳造作業に至っては短期間(約7カ月)で鋳造するために東京美術学校内の工場はもとより、鋳金家の岡崎雪声や香取秀真などの工場でも行われています。
日本の伝統的な技法(真土式込型技法)で鋳造された麒麟や獅子などの大型銅像は、部分ごとに真土(鋳物土)で原型の鋳型を取り、元の形に組み合わせた鋳型に中型(中子)を入れて焼いて造られました。橋柱を彩るこうした装飾品は、関東大震災後の補修や終戦後の応急的な修理(戦時中の金属供出・空襲などによる欠失・損傷・変形箇所)を経て、平成8年から平成10年にかけて大修復工事が行われています。
3年にわたる修復工事では、現況の詳細調査と修復設計を実施し、創建当時の造形性を取り戻すべく装飾柱の各所が復元・修復されました。このうち、新規鋳造のために取り外された西側方錐柱の柱座に蹲踞する阿形・吽形両麒麟像の右鰭(青銅製〈一部モルタル補修〉1点、モルタル製1点)と西側ランプ柱および東側方錐柱の各配電盤装飾蓋(青銅製2点)は区民文化財として保管されています。修復の歴史が刻まれたこれらの橋柱装飾品は、明治期の鋳造技術や造形芸術の一端を示す貴重な遺物(工芸品)といえるでしょう。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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