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区のおしらせ 中央
平成28年8月21日号

区内の文化財

カトリック築地教会聖堂

区民有形文化財 建造物 明石町5番26号

写真:カトリック築地教会聖堂
▲カトリック築地教会聖堂

明治元年11月19日、明治政府は江戸幕府が諸外国と結んだ通商条約に基づいて、江戸(東京)の築地(現在の明石町一帯)に外国人居留地の開設を決定(「東京開市宣言」)しました。居留地には、貿易港を有する外国人市街として開かれた開港場(函館・横浜・新潟・神戸・長崎)がある一方で、築地は単に外国人が滞在する市街を開いた開市場でした。
西洋建築(公使館・教会・学校など)が立ち並ぶ外国人の市街であった築地外国人居留地は、明治元年から明治32年(1899)の条約改正(「内地雑居」となる)まで続きました。そして、関東大震災を契機に異国情緒漂う町並みは大きく変容を遂げます。なお、現在も明石町に残るアメリカ公使館の遺物やミッションスクール発祥の石碑などは、かつて存在した外国人居留地の歴史を今日に伝えています。
中でもカトリック築地教会は、明治初期からほぼ同じ区画に聖堂を構えており、聖堂内の銅製洋鐘(明治9年〈1876〉にフランスで鋳造)とともに、居留地時代の雰囲気を最もよく留めています。歴史をたどると、明治7年(1874)にフランス・カトリック教会が居留地36番(当該地)を競借した後、明治11年(1878)に築地聖ヨゼフ天主堂(旧聖堂)を創建しました。煉瓦造の旧聖堂は関東大震災で焼失したため、昭和2年(1927)にギリシア神殿建築を想わせる古典主義様式の新聖堂が再建されました。
石造建築にも見える聖堂は、木造(一部は組積造〈煉瓦〉)平屋建(一部2階建)の構造で、屋根形式は切妻造(金属板瓦棒葺き)です。建物正面には、切妻屋根の妻壁にユリやバラのレリーフを施したペディメント(三角形の破風部分)があり、この下のエンタブレチュア(柱上に架した水平の梁部)を重厚な6本のドリス式オーダー列柱が支えています。特に、頂部から胴部・基部へと膨らみのある柱身は、フルーティング(垂直方向の彫り溝)と相まって力強さと安定感がみられます。また、長方形の平面を持つ内部は、中央の身廊(入口から祭壇前までの空間)と両側の側廊をドリス式円柱で区分したバシリカ式の聖堂で、天井には格天井が採用されています。なお、当初は履物を脱いで畳敷きの身廊に入ったようで、建物から礼拝のかたちまで日本の風土に合わせた信仰の場となっていました。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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