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区のおしらせ 中央
平成28年4月21日号

区内の文化財

柳橋

区民有形文化財 建造物
東日本橋二丁目 台東区柳橋一丁目(神田川)


写真:柳橋

東京都三鷹市の井の頭池(湧水池)を水源とする神田川は、都心を蛇行しながら東へと流路をとる延長約25kmの一級河川です。なお、江戸城外堀と合流する千代田区飯田橋からは、JR線(中央本線)に沿って真っすぐ流れ、万世橋から先もそのまま東流して隅田川に至ります。隅田川まで真東に流れるこの水路は、元和6年(1620)に開削された人工の掘割(平川放水路)がもとになっており、その後も仙台藩(4代藩主伊達綱村)による拡幅工事が行われて神田川の舟運が整備されました。
船入堀を利用して物資の流通が行われた神田川には、川に面して多数の河岸が設けられていきました。特に神田川最下流の柳橋は、隅田川に合流する河口という立地から水上交通や船遊びの拠点となりました。周辺には、新吉原・向島通いの猪牙船や隅田川での船遊び客(月見・花火・川上りなど)に貸船を仕立てる船宿が集まり、川柳にも「柳橋川へ蒲団をほうりこみ」とうたわれるほどのにぎわいをみせていました。
なお、『御府内備考』によると、下柳原同朋町(現在の東日本橋二丁目)と浅草下平右衛門町(現在の台東区柳橋一丁目)との間を渡した柳橋は、元禄11年(1698)の創架当初「川口出口之橋」と呼ばれていたとあります。後に柳橋と称され、付近一帯は幕末・明治期に至って急速に繁華街となり、新橋とともに人気の高い花柳街(「柳新二橋」と称される)が形成されました。
柳橋の橋そのものは、江戸・明治期を通じて何度か架け替えられており、明治20年(1887)には初めて鋼鉄製のトラス橋となりました。その後、関東大震災後の帝都復興事業で改架された鋼鉄橋が現在の柳橋になります。昭和4年(1929)竣工の柳橋は、船の航行を妨げないように橋脚が少なく、橋梁本体の下に路面がある下路式・鋼製ソリッドリブタイドアーチ構造の橋(橋長約38m・幅員約11m)です。また、永代橋(大正15年竣工)のデザインが採用されているだけに、男性的で重量感のある意匠と橋梁技術の高さが見て取れます。
風趣に富んだかつての柳橋の情景は、成島柳北『柳橋新誌』、森鴎外『青年』、永井荷風『牡丹の客』、横光利一『紋章』などにも描かれていますが、現在の柳橋付近で営む数軒の船宿や料亭、石塚稲荷神社(台東区柳橋1-1-15)玉垣(料亭屋号の刻銘)などからもその一端がうかがえます。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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