中央区ホームページ
広報紙「区のおしらせ 中央」へ戻る この号の目次へ戻る

本文ここから
区のおしらせ 中央
平成28年2月21日号

区内の文化財

於岩稲荷田宮神社の百度石

区民有形民俗文化財 新川二丁目25番11号 於岩稲荷田宮神社

於岩稲荷田宮神社の百度石
▲於岩稲荷田宮神社の百度石

神や仏に対して願い事が成就するように祈願する”願掛け”は、その内容によってさまざまな方法・形態がみられます。一般的には、絵馬などの奉納物に願い事を書いて願掛けを行うことがよく知られていますが、日本各地の神社仏閣を訪れると、商売繁盛・受験祈願・縁結びの奉納物から病気治癒を願った「毛髪」「めの字(逆さ字)」「履物」などの奉納物まで、人びとの多様な祈願のカタチが見て取れます。
この他にも、願掛けには雨乞いや豊作祈願のために何度も水垢離(冷水を浴びて心身を清浄にする)を取る「千垢離」「万垢離」、穀物・茶・塩・煙草などを一定期間断って神仏に誓願する「断物」、あるいは数を重ねることで願いをかなえる「千社参り(詣で)」「百度参り」「三十三観音巡礼」などの習俗があり、古くから共同または個人祈願の形式で行われてきました。
中央区内には、こうした民間信仰の願掛けに関わる石造物の一つとして、百度参りの往復の標識として立てられた「百度石」がいくつか現存しています。大正3年(1914)10月に奉納された於岩稲荷田宮神社(新川二丁目)の百度石をはじめ、大安楽寺(日本橋小伝馬町)、鐵砲洲稲荷神社(湊一丁目)、大原稲荷神社(日本橋兜町)、日本橋西河岸地蔵寺教会(八重洲一丁目)、東陽院(勝どき四丁目)などにも大正から昭和期の百度石を見ることができます。
百度参りとは、特定の神仏に100日間続けて参詣する願掛けの行為でしたが、後に1日100度参るかたちに簡略化されました。百度参りでは、神仏の注意をより多く引き付けて心願が果たされるように、水垢離を取り、白装束を身につけ、社寺の入口から拝殿・本堂までの間をはだしで100度往復して参拝する(「御百度を踏む」)方法がとられました。民俗学者の柳田国男は、都市における個人祈願の「百度参り」を紹介する中で、「大きな御社の鳥居の脇には、御百度石といふ石が立つて居て、手に数取りの紙縒や竹の串を持つて、脇目も振らずにそこと社殿との間を、往き返りする人を毎度見かける。」と願掛けの様子を記しています。
さて、今回の文化財である於岩稲荷田宮神社の百度石は、本殿向かって右側に立つ全高127cmの石造物(花崗岩製)です。方形の台座(高さ27cm)に据えられた角柱型の百度石(高さ80cm・幅39cm・奥行き33cm)正面には、花形枠に稲荷宝珠紋と「百度石」の陰刻が施されています。また、向かって左側面には「奉納 大正三年十月吉日」、向かって右側面には寄進者名の「大阪浪花座興行記念 四代目市川右団次」の陰刻が確認できます。さらに、この百度石の頂部には田宮家の家紋(陰陽勾玉巴)をかたどった球形の石(直径20cm)も置かれています。
百度石の刻銘にある四代目市川右団次(1881から1936)は、明治中期から昭和初期に関西歌舞伎で地芸および所作事の名手として活躍した歌舞伎役者です。初代市川右団次(1843から1916)の実子として大阪市南区笠屋町に生まれ、明治19年(1886)に本名(右之助)で初舞台を踏み、明治42年(1909)正月の大阪・中座における改名披露で市川右団次(父親は市川斎入と改名)を襲名しました。右団次は、お岩・小幡小平次・法界坊・児雷也・鯉つかみ・操三番などを当たり役として演じ、奇抜で躍動的な演出・演技のケレン芝居で人気を博しました。
大正3年(1914)には大阪・浪花座で『四ツ谷怪談』全五幕を興行(8月1日から22日)し、右団次はお岩・小仏小平・佐藤与茂七・世話人の鬼葛右之松と一人四役をこなしました。そして、右団次がこの時の興行を記念して「お岩」ゆかりの当神社へ寄進した百度石は、建立時の原型を保ちながら現存しています。
この石造物は、歌舞伎界とのつながりや民間信仰の姿を今に伝える貴重な文化財です。

中央区総括文化財調査指導員
増山一成

本文ここまで

以下 奥付けです。

Copyright (c) Chuo City. All rights reserved.