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区のおしらせ 中央
平成27年7月21日号

区内の文化財

新大橋の橋名板

区民有形文化財 工芸品 明石町12番1号 郷土天文館

新大橋の橋名板
▲新大橋の橋名板

隅田川橋梁の一つである新大橋は、日本橋浜町二・三丁目と江東区新大橋一丁目を結ぶシンプルなデザインの斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直結させる橋)です。主塔と橋桁は黄色、高欄(橋の欄干部分)には白色を配した明るい色調の橋となっています。現在の新大橋は昭和52年竣工の新しい橋ですが、実は隅田川に架かる橋の中でも千住大橋、両国橋に次いで古い歴史を持つ橋なのです。
幕府編纂の地誌『御府内備考』には、御入用橋(幕府直轄の公儀橋)として、元禄6年(1693)に水戸徳川家屋敷の上地(返納した知行地)から深川元町(現在の江東区常盤一丁目)へ架橋されたとあります。また、橋名は千住大橋に対して新大橋と命名(両国橋の旧称〈大橋〉に基づく説もあり)したと記されています。橋は江戸時代を通して修理や架け替えが繰り返し行われ、延享元年(1744)には町人維持の町橋となりました。なお、歌川広重の作品「大はしあたけの夕立」(『名所江戸百景』シリーズの一つ)には、新大橋が夕立の情景の中で見事に描かれており、ゴッホ(後期印象派の画家)の模写作品とともによく知られています。
木造の新大橋は、明治45年(1912)に全長約173メートル・幅員約25メートルの三径間・鋼プラットトラス(斜材を上向きに開いて配した三角形の骨組構造)橋として改架(架設位置は約200メートル上流の現在地)されました。構造・装飾設計には東京市の技師が携わり、重厚感のある鋼材(アメリカ製)とは対照的に、正面上部に掲げられた装飾性の高い橋名板や歩道高欄・親柱などの優美なデザインにも特徴がありました。さらに、道路橋としての床版は厚鋼板にコンクリートを打設してアスファルト舗装が施されました。このため、大正12年(1923)の関東大震災では焼失・落橋することもなく、橋上の避難者を救ったといわれています。
旧橋は現在の橋へと改架される際に撤去(左岸橋詰に親柱一基と高欄の一部を保存)されましたが、中央区側の橋名板(「新大橋」の文字は野村素介筆)は取り外された後に明治期の貴重な土木・産業遺産(遺物)として文化財となりました。なお、江東区側の橋名板は同区立八名川小学校内に移設保存され、旧橋の一部(一径間の半分)は博物館明治村(愛知県犬山市)に移築保存が図られています。
 
中央区総括文化財調査指導員
増山一成

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