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区のおしらせ 中央
平成27年3月21日号

区内文化財

銅造地蔵菩薩立像

区民有形文化財 彫刻 日本橋茅場町一丁目5番13号 智泉院

写真 銅造地蔵菩薩立像
▲銅造地蔵菩薩立像

日本橋茅場町一丁目には、日枝神社の摂社・御旅所と天台宗寺院の智泉院が隣り合わせに建てられています。本はといえば、当社寺は慶応4年・明治元年(1868)に出された神仏混淆を禁じる神仏判然令まで同じ境内に祀られていました。現在でも神社と寺院が隣接していたり、同一境内に神仏を祀るケースが各地でみられるのは、明治以前の信仰形態の名残であることが多いかもしれません。
江戸時代の当社寺においては、江戸山王大権現(明治元年から「日枝神社」の社号)の本地仏(化身である神の本来の姿〈仏・菩薩〉)が智泉院の本尊・薬師如来とされていました。そして、病気平癒や延命長寿などの現世利益に功徳があるとする「薬師信仰」の高まりとともに、“茅場町薬師”は江戸庶民の篤い信仰を集めました。しかし、明治の廃仏毀釈をはじめとする苦難の歴史の過程で、かつての本尊・木造薬師如来坐像(室町時代の作)は神奈川県川崎市の天台宗寺院(神木山等覺院長徳寺)へと移転安置されました。
さて、今回の文化財は智泉院の境内に安置されている銅造地蔵菩薩立像です。当像は、室町時代の木彫像である旧本尊とは異なり、近代に鋳造された像高235センチメートルほどのブロンズ製の仏像です。この地蔵菩薩は、大正12年(1923)の関東大震災で横死した数百名にも及ぶ日本橋魚河岸関係者の菩提を弔うため、魚河岸が組織した地蔵講によって昭和2年(1927)に造立されました。制作を依頼された彫刻家・版画家の戸張孤雁(1882から1927)は、本小田原町(現在の日本橋本町一丁目)の生まれで、自身も震災で肉親を失った一人でした。なお、当像は孤雁の最晩年の遺作とも、孤雁の指図で彫刻家の喜多武四郎(1897から1970)が制作したとも言われています。
蓮台と反花のみの簡素な蓮華座に立つ尊像は、通肩の衲衣をまとう比丘形で、左手に苦厄を取り除き願いを叶える如意宝珠を持ち、右手には錫杖を持って現世を行脚し救済の手を差しのべる形相となっています。張りのある肩、すっと伸びた長い足、そして慈愛に満ちた柔和な尊顔と宝珠形の頭光(頭部背後の光背)は、拝する人の角度、方向、感受性などによって表情を変えることでしょう。その像容からは近代的な造形彫刻の表現とともに、建立した魚河岸の人々の心情が伝わってきます。

中央区総括文化財調査指導員
増山 一成

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