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区のおしらせ 中央
平成27年1月21日号

区内文化財

豊海橋

区民有形文化財 建造物新川一丁目から日本橋箱崎町(日本橋川)

写真 豊海橋
▲豊海橋

隅田川や日本橋川などを航行する観光船の魅力は、川面を眺めながら川風や水しぶきを感じる爽快さに加えて、普段は目にすることができない水辺からのまち並みや景色を味わうことにあります。特に、隅田川では重要文化財の清洲橋・永代橋・勝鬨橋を始めとする魅力的な橋梁群を次々と堪能することができます。
江戸・明治期の中央区域は、舟運を支える交通路(掘割)が縦横に走る「水の都市」であったため、数多くの橋が架けられていました。こうした掘割・橋の多くは、都市改造(戦後復興、東京オリンピックなど)に伴う埋め立て工事で失われましたが、日本橋川や隅田川、そして現存する橋梁などが水都の姿を今に伝えています。
特に、関東大震災後の復興事業で改架・新設された「震災復興橋梁」は、技術・デザインにおいて、ひときわ異彩を放つ存在です。日本橋川の河口部に架かる第一橋梁「豊海橋」もその1つで、隅田川から眺めると永代橋の約50m上流(左岸側)に位置する橋です。
元禄11年(1698)に創架された豊海橋は、一名「乙女橋」とも称されていました。江戸時代には橋の北に火除地の「永代橋西広小路」(旧永代橋は現在地から約150m上流位置にあり、大正15年に下流位置に改架)や「船見番所」「御船蔵」などが置かれ、明治15年(1882)には橋北の北新堀町(現在の日本橋箱崎町)において日本銀行が創業しています。また、堀沿いに広がる南北の河岸地(北新堀河岸・南新堀河岸)は多くの蔵が建ち並ぶ場所でした。
現在の豊海橋は、関東大震災で被災した鉄橋(明治36年)を改架したもので、昭和2年(1927)竣工の下路式・鋼製フィーレンデール橋(橋長約46m・幅員約8m)です。橋梁設計に携わった福田武雄(当初は帝都復興局の田中豊)は、主桁がラーメン構造(鋼製の骨組を強固に剛接合〈剛節架構〉した連続的な構造〈RC構造の建物の骨組に多用〉)の形式を採用し、隣接する重厚なアーチ橋の永代橋を引き立てるようなデザインとなっています。
骨太な部材が格子状に組み合わされた豊海橋の構造は、日本橋川を通して多様なモノが行き来する“開かれた窓”がいくつもあるようにも思えます。なお、豊海橋からの美しい風景は、作家・永井荷風も『断腸亭日乗』の中で見事に描写しています。

中央区総括文化財調査指導員
増山 一成

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