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区のおしらせ 中央
平成26年1月1日号

私のスポーツ体験、スポーツ振興活動

山本 私は、小学生のころはリレーの選手、中学校では野球の選手をやっていました。
 高校生になると方向転換して、剣道部に入りました。
 稽古には、一人で相手に一方的にかかっていく「かかり稽古」があり、開始の合図で太鼓が叩かれたら、次に太鼓が叩かれるまでやめることができません。剣道部のコーチは厳しい方でその鬼コーチは「はじめ!」と言って太鼓を叩くと道場から姿を消して、こちらが限界に達するまで戻ってきませんでした(笑)。
 そんな厳しい稽古の毎日でしたが、剣道の魅力に引かれ、大学に進学しても剣道の道を選びました。結局、全日本の代表になるような選手にはなれなかったのですが、自分にとって快挙といえるような出来事もありました。ライバルの大学との交流試合で勝利して優秀選手に選ばれたのです。これは、私の剣道人生の中では大きなポイントでした。稽古は本当に厳しいものでしたが、やめずに続けたからこそ、あの栄誉を手にすることができたと思うのです。厳しいことを続けていく大切さを感じました。
 その後社会人になってからも剣道を続け、現在は、中央区剣道連盟会長、東京都剣道連盟副会長を務めています。

有森 私は、スポーツがもともと得意だったわけではありません。幼少のころ、たまたま走ることに出会い、その後の人生がいろいろな意味で広がっていったと思います。
 私は1992年のバルセロナオリンピックで銀メダル、1996年のアトランタオリンピックで銅メダルを取りましたが、ずっと前からオリンピックの選手になりたいと思っていたわけではありません。
 オリンピックに出てみたいと強く思うようになったのは、1988年のソウルオリンピック、女子マラソンで金メダルを取ったロサ・モタ選手を見たときからです。
 彼女は、倒れこむか、苦痛の表情でゴールするというマラソンのイメージを覆して、満面の笑顔でゴールをしたのです。そのときものすごく感動したのと同時に、今度は人が感動する場に自分が立ちたいと思ったのです。そしてその4年後、その思いを胸にトレーニングを重ねて日本の代表選手に選ばれ、念願のバルセロナオリンピックの舞台に立つことができました。
 現在は、マラソン選手としての経験をもとに、さまざまな形でスポーツ振興活動に取り組んでいます。中央区ともご縁があり、5年ほど前から「区民スポーツの日」のマラソン大会にゲストとして呼んでいただき、大会を盛り上げるお手伝いをさせていただいています。

安藤 私が運動を始めたきっかけは、小学校の担任の先生の影響です。先生は体育が得意だったため、いろいろな運動を教えてもらい、運動することが大好きになりました。
 大学までは器械体操の選手でしたが、会社に入ってフリースタイルスキーを始め、そこではじめてオリンピックを目指すことになりました。
 思い出に残るオリンピック・パラリンピックは、やはり自分が出場した1998年の長野オリンピック冬季大会ですね。
 現在は仕事の傍ら、浜町体育館で子どもたちに「子ども体操」を教えています。中央区は今赤ちゃんが増えていまして、幼稚園児・保育園児もたくさんいます。元気な子どもたちにやっつけられながら(笑)、楽しくレッスンをしています。また、母校の大学で体操部の助監督も務めています。

ゼッターランド 私は生まれはアメリカですが、6歳のときに、母と一緒に母の実家のあった新富町に戻ってきまして、そこから私の日本での生活がスタートしました。
 私にとって中央区は、アスリートとしての素地がつくられた場所です。アメリカから日本に来たときまったく言葉がしゃべれなかった私にとって、言葉ができなくても他の人とコミュニケーションがとれる唯一の手段がスポーツで、スポーツに没頭する生活を送っていました。
 最も没頭することになったバレーボールに最初に触れたのも中央区築地の社会教育会館でした。そこで初めて、言葉がうまく通じなくてもボールを通して人とつながり、チームとしての目的・目標をみんなで達成することができることを学べるバレーボールという団体競技の素晴らしさを知りました。
 その後、アメリカの代表として、有森さんと同じバルセロナ、アトランタという2つのオリンピックに出場しました。2つのオリンピックでは、やっと出場でき、銅メダルまで獲得することができたバルセロナオリンピックが特に思い出深いですね。
 現在は、大学の女子バレー部監督を務めていますが、スポーツを通して忍耐力や協調性、思いやりの心など、人としての大切な素養を育てていきたいと思っています。

百瀬 私のスポーツの原点は子どものころですね。晴海の原っぱや現在の豊海にあった海水浴場で、野球や水泳をするのが私の日課でした。
 中学生のときに中央区一周駅伝があって、私は2年生、3年生と続けて選手に選ばれて出場しました。1人2キロメートル走り、5人で10キロメートルです。大人は1人で一周します。大人になったら絶対10キロメートルに出たいと思っていましたが、交通事情で大会が中止になりその夢をかなえることはできませんでした。
 それで、中央区体育協会40周年のときに「区民スポーツの日」に何かやろうということになりまして、私はすぐ手を挙げて、「マラソン!」と提案したのです。そして「区民スポーツの日」に携わるようになって既に25回を数えますが、第1回の大会で矢田区長が子どもたちと一緒に走ったことを、今もはっきり覚えています。
 中央区では我々スポーツ推進委員が主体となって一人でも気軽に参加できる「スポーツひろば」や各種のスポーツ教室などを開催しています。
 昨年は総合型地域スポーツクラブがスタートしました。そこでは、多くの子どもたちが会員になってさまざまなスポーツを楽しんでいます。
 シニアを対象にしたスポーツや体操、精神障害や身体障害などのある人を対象としたスポーツの推進にも取り組んでいます。

区長 私も子どものころからスポーツは好きで何でもやりました。小学校のときは野球、ドッジボール、水泳、ローラースケート。中学校のときには武藤英雄先生という、1964年東京オリンピックのデモンストレーションで剣道を指導された方の下で鍛えられました。高校のときは柔道を一生懸命やりました。
 そのように何でもやりましたが、皆さんと違ってどれも実らなかった(笑)。でも、こんなにも元気でいられるのは若いときにスポーツをしたおかげであると思います。また、昔の仲間と会うと、かつて熱中したスポーツが話題になり、一段と話が盛り上がります。
 前回のオリンピックは戦後わずか20年足らずで、あの焼け野原から日本の復興ぶりを世界に示した。そしてこれを機に日本経済はどんどん発展しました。そうした面での意義は大きかったと思います。
 2020年の開催はそれとは違った意味で大変重要です。今度はこのように成熟した日本社会の成り立ちは平和を基軸にしてきた結果なのだ、ということを世界中の方々に分かってもらうという重要な役割を担っていると思います。
 いま、残念ながら世界はどうやって平和を築き上げるかということで大変悩んでいます。内戦状態のシリアをはじめ、いたるところでテロや紛争、緊張が高まっているのに何もできない。その点、日本は戦後一貫して平和に徹してきた、平和を希求してきたからこそ、こんなにも繁栄し、成熟した国家が出来上がったのだという事実を世界中の方々に理解していただき、恒久平和へ導く、リードする絶好の機会なのです。その責務を全国民が頭に入れて行動すれば大会は必ず成功するし、平和な世界がやってきます。

第25回「区民スポーツの日」マラソン大会の様子
第25回「区民スポーツの日」マラソン大会

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