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区のおしらせ 中央
平成25年12月21日号

区内文化財

江戸秤座跡

区民史跡 日本橋三丁目7番20号

江戸秤座跡の記念碑の写真
江戸秤座跡の記念碑(現在工事中のため見学不可)

物の重量を量るための衡器(器具)には、天秤・竿秤・台秤などがあります。日常では食料品などの売買の際に、購入者が求める分量をその都度“量り売る”ための秤や枡を目にする機会が多いと思います。
今回の文化財は、江戸時代から明治初年にかけて、秤の製作・販売・補修・部品取替・悪秤没収・秤改などを独占的に行った役所・江戸秤座の跡です。ところで、江戸時代の「座」と言えば、金座・銀座・銭座(幕府の貨幣鋳造所)などが知られていますが、この他にも、銅座・鉄座・真鍮座(幕府直営の専売所)、分銅座・枡座・秤座(運上金を納めて専売を許可された特権商人の役所)などもありました。
これらの座は、商工業者などの同業組合的な組織(中世の「座」)というより、幕府からの免許物品(貨幣・度量衡など)に関する独占権を有する機関でした。このうち秤座は、地方ごとに異なっていた秤量の基準を統一するため、江戸幕府が承応2年(1653)に衡制統制の一環として、守随家(江戸)と神家(京都)の二家へ秤に関する特権を与えました。
江戸秤座は、甲斐武田家のもとで秤の製作販売を業としていた守随氏(初代は吉河守随茂済、二代彦太郎の代に守随姓へ改名)が、徳川家康の関東入国(天正18年:1590)の際に江戸へ移住し、家康の許可を得て幕府公認の権衡(はかりのおもり「権」とさお「衡」の意味)専業の任にあたりました。
慶長19年(1614)、三代彦右衛門の代に関東中の秤の特権を得、承応2年には東国33か国を守随家(江戸秤座)、西国33か国および壱岐・対馬を神家(京都秤座)の特権域とする東西分掌体制となりました。
なお、重量の基準となる秤の分銅は、分銅座・後藤四郎兵衛家が製作する分銅をもって秤目を定めており、これによって全国の権衡が統一されていました。
江戸秤座の場所は、箔屋町(現在の日本橋三丁目)から具足町(現在の京橋三丁目)へと移転し、再び箔屋町(当該史跡)の地へ移って明治を迎えています。最終的に、明治8年(1875)の度量衡取締条例によって、秤製作請負人を各県に一人ずつ認可する制度となり、特権的な秤座の歴史に幕を閉じました。
跡地には現在、江戸時代の権衡制度に関わる秤座の場所を示す記念碑が建てられています。
中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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