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区のおしらせ 中央
平成25年9月21日号

区内文化財

智泉院の天水鉢

区民有形民俗文化財 日本橋茅場町一丁目5番13号 智泉院
日本橋茅場町にある天台宗寺院・智泉院は、日枝神社の境外摂社(千代田区永田町二丁目の本社に付属して境外に祭られた神社)が鎮座するすぐ裏手(道路を挟んで東側)に建立されています。江戸時代の地誌類をひもとくと、現在の摂社日枝神社は、寛永年間(1624から1644)に「山王御旅所」(山王権現祭礼の際に神輿が渡御して鎮座する場所)と定められ、同御旅所内には、別当寺(号は醫王山智泉院)として「薬師堂」(山王権現の本地仏である薬師如来を安置)が建立されていました。
“茅場町の夕薬師”や“夕薬師 袖へ入日ハ うしろから”などの句が示すように、薬師の縁日(毎月8日・12日)には夕方から多くの人が参詣に訪れ、門前に盆栽・植木を商う市も立ち並んでにぎわいました。その後は、明治初年の神仏分離(「神仏判然令」)政策によって御旅所内から独立し、関東大震災後の区画整理などを経て現在地に至っています。
さて、今回の文化財は、智泉院に現存している江戸時代の天水鉢について紹介します。この天水鉢は、境内に祭られている地蔵菩薩立像の前に左右一対(2基)の形で置かれています。2基ともに基壇や台座などはなく、高さ94センチメートル・上縁外径97センチメートルほどある鉄製の鋳物です。
天水鉢(桶)とは、防火用に雨水を蓄えておく容器として、江戸時代には屋根の上・軒先・町角などに置かれました。明治以降は、消防設備の近代化に伴って使われなくなりましたが、現在でも寺院の軒先などにある奉納物の天水鉢を目にすることが出来ます。
智泉院に伝来する天水鉢は、「奉納者」「奉納年月」「鋳物師(金属製品を鋳造する技術職人)」銘などが陽鋳されたシンプルなものです。銘文によれば、山王御旅所の西側に位置する坂本町(現在の日本橋兜町)の有志が、天保12年(1841)4月に奉納したもので、他に世話人8名の銘も施されています。なお、鋳造者には、深川上大島町(現在の江東区大島)に工房を構えていた高名な鋳物師・釜屋七右衛門(通称「釜七」)の銘が確認できます。
この天水鉢は、江戸の人々から“茅場町の薬師様”と呼ばれて篤い信仰を集めていた往時の歴史を物語るとともに、区内に現存する釜七鋳造の貴重な名品といえるでしょう。

智泉院の天水鉢の写真
智泉院の天水鉢

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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