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区のおしらせ 中央
平成25年8月21日号

区内文化財

鐵砲洲稲荷神社富士塚内の力石

区民有形民俗文化財 湊一丁目6番7号 鐵砲洲稲荷神社
静岡・山梨両県の境に聳立つ富士山は、古くから信仰の対象とされてきた日本第一の高山であり、日本の象徴としても知られています。平成25年6月に開催されたユネスコの第37回世界遺産委員会では、こうした富士山の文化的意義が評価され、世界遺産一覧表に記載(正式名称「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」)されました。
中央区内には、こうした富士信仰の様相を示す文化財として、鐵砲洲稲荷神社境内の富士塚が現存しており、日本人の山岳信仰や風俗習慣の一端をうかがうことができます。
さて、今回の文化財は、鐵砲洲稲荷神社の富士塚内にある力石について紹介します。当神社には、社殿に向かって右手前に楕円形の力石が2つ保存されていますが、実はこの他にも、境内にある富士塚の一部として現存している力石があります。
この力石は、富士塚に向かって右手の場所に埋め込まれており、表面の状態から安山岩系の自然石で造られた楕円形(長径63センチメートル・短径48センチメートル)の力石であることがわかります。力石表面の刻字(切付)には、中央部分に「霊岸島」「小田原屋久助持石」の記録があり、かつて小田原屋の久助なる人物が持ち上げた力石として当神社に置かれた(奉納された)ものと推定されます。
さらに、力石の上部には、富士講の一つである丸瀧講の講印「中央に剣ヶ峰を配する富士山頂の四峰描写(火口周りの八神峰を図案化したもの)」と「 」が大きく陰刻されています。また、石の右下に「第一大区大先達頭」、左下に「外 世話人中」の刻字があることから、富士講の記念碑としての性格も読み取れます。
なお、「第一大区」の刻字は、明治4年(1871)から明治11年(1878)までの行政区画「大区小区制」(旧江戸市街を6大区97小区に編成し、現在の中央区は第一大区に所属)の時期を示しており、富士塚が現社地へ再築造された明治7年の時期と合致します。おそらく、明治初期に行われた富士塚築造の際、力比べの石であったこの力石に富士講の記念碑としての刻字を施したものと思われます。
この力石は、力比べが行われていた鉄砲洲周辺の風俗習慣とともに、富士信仰の歴史を物語る貴重な遺物といえるでしょう。

鐵砲洲稲荷神社富士塚内の力石の写真
鐵砲洲稲荷神社富士塚内の力石

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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