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区のおしらせ 中央
平成25年4月21日号

区内文化財

鐵砲洲稲荷神社の力石

区民有形民俗文化財 湊一丁目6番7号 鐵砲洲稲荷神社
鐵砲洲稲荷神社の境内に入ると、震災復興期に造営された社殿・神楽殿・社務所などの諸建造物や富士信仰に基づいて造営された人造の富士塚など、比較的大きな文化財に目が留まります。さらに良く周囲を見渡しますと、社殿に向かって右側辺りに小さいながらも重量感のある2個の「力石」の存在に気付かれることでしょう。これらの力石は、並べた状態でコンクリート製の台座上に据え置かれています。
「力石」とは、読んで字の如く、力試しや力比べで抱えあげられる大石のことです。この石は、神社仏閣の境内や集落近辺の人々が集まれる場所に置かれ、かつては力自慢の若者たちが身体鍛錬や娯楽を兼ねて持ち上げられたものでした。
こうした行為は、江戸時代から昭和初期頃まで日本各地で行われていたようで、人力による物資運搬(農山村では「米俵」「炭俵」「薪束」、漁村・河岸地などの港湾地域では「醤油樽」「油樽」「酒樽」など)が必要な生活の中から自然発生的に生まれたものでした。
鐵砲洲稲荷神社の境内に並べて設置してある力石は、ともに楕円形(長径60から63センチメートル・短径40から46センチメートル・厚さ24から26センチメートル)で表面に凹凸が少ない安山岩系の自然石で造られています。この力石に関する伝来は不詳ですが、昭和20年(1945)頃、東京文理大学(現在の筑波大学)の教授が当社境内にある松の木の根本に埋没していた力石を発見したといわれています。
無銘であった2個の力石は、発見後に「鐵砲洲稲荷神社」「力石」の刻銘とともに、各石の重量と年代の刻字が施されました。向かって右には「三十五貫」(単位換算:131.25キログラム)、左には「三十貫」(単位換算:112.5キログラム)と刻字され、ともに「享保19年正月」(1734)の紀年銘が読み取れます。これらの力石は、物資を荷揚げする河岸地が発達していた鉄砲洲周辺の歴史と風俗を物語る貴重な民俗資料です。

鐵砲洲稲荷神社の力石
鐵砲洲稲荷神社の力石

中央区主任文化財調査指導員
増山 一成

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